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【宮下瞳インタビュー】息子とタッグを組む日へ…名古屋で踏み出した調教師としての第一歩

text by 中西友馬
宮下瞳調教師
宮下瞳調教師(画像は騎手時代)

名古屋競馬で長年にわたり活躍し、重賞制覇や黄綬褒章受章など数々の栄誉を手にしてきた宮下瞳氏。そのキャリアは決して平坦なものではなかった。引退、子育てを経て復帰し、再び結果を残したのち、現在は調教師として新たな道を歩んでいる。本インタビューでは、騎手としての歩みから調教師転身の背景、そして現在の思いに迫った。[1/5ページ]

宮下瞳調教師インタビュー

騎手としての原点とキャリアの転機

――はじめに、騎手を目指すきっかけを教えてください。

祖父が実家で馬を飼っていて、小さい頃から乗ったり世話をしていました。その中で自然とジョッキーになりたいと思うようになりました。あとは兄もジョッキーだったので、憧れた部分もありました。

――騎手を志したのは何歳ぐらいの時ですか?

本格的に考え始めたのは中学校に入ってからくらいですね。それまでは女性でも騎手になれるということを、全く知りませんでした。周りのみんなが高校受験のことを考え始めたときに、自分は何をしたいのかなと真剣に考え始めて。そこで初めて女性でも騎手になることができるんだと思って、目指し始めました。

――名古屋競馬場での所属は希望した形ですか?

そうですね。兄が名古屋にいたので、兄と同じ厩舎にお世話になることにしました。

――名古屋で騎手としてキャリアを積む中で、特に印象に残っている出来事はありますか?

名古屋での騎乗が中心でしたが、韓国で女性騎手の招待レースがあって、そのときに1着になったんです。それをきっかけに、韓国でも騎乗する機会が増えました。
 
――その後、一度ジョッキーを引退されることになるわけですが、未練や葛藤はありましたか?

いや、全くなかったですね。それこそ韓国に行った後、名古屋では騎乗せずにそのまま引退したんですけど、地元でも韓国でもけっこうやり切ったという感じで…。思い残すことなく、引退を決断しました。

――そこから復帰に至る経緯やきっかけについても教えてください。

長男が生まれてから、私がジョッキーだったということを話したことがなかったんですよ。
ただ、部屋に私が騎乗している写真があって、長男がそれを見たときに、「これ誰?」と聞いてきたんです。「ママだよ」って答えたら、「ママが馬に乗っている姿を見てみたい」って言われて。その言葉がきっかけで、もう一度復帰しようかなと思いました。

――素敵なエピソードですね。それは引退してからどのくらい経った頃だったんですか?

たしか、長男がまだ小さい頃で、2〜3歳くらいだったと思います。ブランク自体が5〜6年あったので、引退してからは3〜4年ほどだったと思います。

――やはり体力を戻すのは大変でしたか?

その頃に、ちょうど主人はジョッキーとして短期免許で韓国にいたんです。その間は子育てをしながら、騎手試験に向けての学科の勉強をしなければならなかったので、時間がなくてバタバタしていた記憶があります。
体力面に関しては、やっぱり5〜6年ジョッキーという仕事から離れていて、その間は主婦業しかしていなかったので、体はかなり変わっていました。

――その状態から体力をつけていったということですね。

まずは厩務員さんのお仕事をやりながら、ランニングをしたり水泳をしたりして、基礎作りから始めて、徐々に体力を戻していきました。

――家庭との両立で心がけていたことはありますか?

どんな職業でも同じだとは思うのですが、仕事のときは仕事、家に帰ってからは疲れていてもなるべく子どもと遊ぶようにはしていました。

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