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宮下瞳厩舎(2)
宮下瞳厩舎(2)

名古屋競馬で長年にわたり活躍し、重賞制覇や黄綬褒章受章など数々の栄誉を手にしてきた宮下瞳氏。そのキャリアは決して平坦なものではなかった。引退、子育てを経て復帰し、再び結果を残したのち、現在は調教師として新たな道を歩んでいる。本インタビューでは、騎手としての歩みから調教師転身の背景、そして現在の思いに迫った。[3/5ページ]

決断。調教師への転身

騎乗と並行した試験勉強の苦労

騎手として第一線で活躍してきた宮下氏は、その後調教師へと転身。現在は名古屋で厩舎を率いる立場として、新たなキャリアを歩んでいる。

――ここからは、調教師になられてからのお話もお伺いしたいと思います。
まず、調教師に転向されることを考え始めたタイミングは、いつ頃だったんですか?

2025年の年明けぐらいからですね。その時期から「ボチボチかな…」とは思っていたんですが、その後の4月ごろに前十字靭帯を痛めてしまって。
その時に、もうジョッキーは長く続けられないなと思うようになりました。そこから9月の調教師試験に向けて、勉強を始めました。

――騎乗しながら調教師試験の勉強をするのは大変ですよね?

めちゃくちゃ大変でした!騎手として復帰するときにも勉強したんですけど、今回は期間も短かったですし、何倍も大変でしたね。

息子の存在が後押しした新たな目標

――怪我をする前から引退を意識していたとのお話でしたが、そのキッカケはあったんですか?

息子が今年の4月から中学3年生になるんですけど、今年JRAの騎手試験を受けるんですよ。なので、本当は息子が騎手になるまで現役を続けようと思っていました。以前からそれが私の夢でもあったので。

――それが大きなモチベーションになっていたんですね。

はい。ただ、体力的にそれが厳しいかなと思うようになってしまって。それなら騎手としてではなくて、調教師になれば息子をサポートできるんじゃないかと思い始めたんです。
もし息子がJRAのジョッキーになっても、名古屋に乗りに来たときに乗せてあげられたらいいなと思って、新しい夢を持つようになりました。

――それは素晴らしい夢ですね。

でも本当は、調教師試験にこんなにすぐ受かると思ってなかったんです。周りからけっこう難しいって聞いていたので。2〜3回受けたらだいたい自分が50歳ぐらいで合格すればいいなと思っていて。そしたら結果的に一発で受かったので、予定よりだいぶ早まりましたね。
だから正直まだ、ジョッキーとして乗っていたかったなという心残りもありますね。

――息子さんにアドバイスしたりもありますか?

はい、アドバイスします。いま中京競馬場の乗馬クラブに通っているんですが、駈歩(かけあし)が出なかったり、苦戦することが多いみたいです。そういうときには、私とか主人に意見を聞いてきますね。

――お手本となる先生が身近に2人もいたら心強いですよね。

主人が、息子が家でも練習できるように木馬を買ったんですよ。なので、それに乗せて、主人が一生懸命教えています。

――息子さんは小柄な体型ですか?

身体の大きさに関しては、騎手としては全く問題ないですね。同級生の男の子の中で飛び抜けて小さいので、逆にどこにいても分かります。

――それもご両親から受け継いだある種の才能ですね。

そうですね。本当にどれだけ食べても太らないですし、減量で苦しむということはないんじゃないかな、と思います。だから、その部分に関しては、本当に恵まれていると思います。

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