
昭和、平成、令和と3つの時代を駆け抜けた柴田善臣騎手が、2026年9月18日をもって現役生活に幕を下ろした。42年目に及ぶ騎手生活の中で、数多くの名馬とコンビを組み、ファンの記憶に残る名勝負を繰り広げてきた柴田騎手。今回は彼の42年に及ぶ騎手人生を振り返り、特に印象的な活躍を見せた5頭を紹介していく。[2/5ページ]
■柴田善臣とコンビを組んだ名馬5選
■ヤマニンゼファー

柴田善臣騎手が初めてGⅠタイトルを手にしたのは、デビュー9年目となる1993年の安田記念。相棒は前年に同レースを制していたヤマニンゼファーだった。
前年は田中勝春騎手とのコンビで11番人気という低評価を覆し、初めてのGⅠ制覇を達成。しかし、その後のマイルCSでは5着、スプリンターズSでも2着に敗れ、年が明けても重賞で勝ち切れない競馬が続いていた。
そんななか、春の京王杯スプリングCから柴田騎手が手綱を取ることになった。実は、この時の乗り替わりは田中騎手が騎乗停止処分を受けていたことによるもの。初コンビの同競走を快勝すると、続く安田記念でも田中勝騎手が新潟に遠征していたため、再び柴田騎手に騎乗依頼が舞い込んできた。
迎えた安田記念、前年のスプリンターズSを制したニシノフラワーや、シンコウラブリイなどの実力馬が顔を揃えるなか、ヤマニンゼファーは2番人気の評価を受ける。
レースでは積極的に2番手につけ、直線で早めに先頭へ。後方から追い込んできたイクノディクタスらを抑えて連覇を達成し、柴田騎手に初めてのGⅠタイトルをもたらした。
柴田騎手にとっては、過去の悔しい経験を乗り越えての勝利でもあった。1989年の桜花賞ではホクトビーナスに騎乗し、直線で抜け出しながらも、最後はシャダイカグラにハナ差で差し切られるという苦い経験をしていたのだ。
そしてこの時も早めに抜け出す形となったが、最後まで後続に先頭を譲らず、悲願のGⅠ制覇を達成。ゴール後は何度も右手を上げて喜びを爆発させ、当時まだ生後半年にも満たなかった長男を抱いて見守っていた夫人は涙を流したという。
さらに秋には、天皇賞(秋)にも挑戦した。芝2000mはヤマニンゼファーにとって初めての距離であり、前哨戦の毎日王冠でも6着に敗れていた。父ニホンピロウイナーも現役時代に同レースへ挑戦したが、3着同着に終わっている。
それだけに血統面から距離を不安視する声も多かったが、管理する栗田博憲調教師は天皇賞を勝てば馬の価値がさらに高まると考え、未知の距離への挑戦を決断した。
そして迎えたレースでは、好位から早めに進出すると、最後の直線でライスシャワーらを振り切って先頭へ。そこに外から猛然と追い込んできたのが、かつてヤマニンゼファーの手綱を取っていた田中勝春騎手のセキテイリュウオーだった。
柴田騎手と田中騎手は若い頃から親交が深く、田中騎手は柴田騎手の騎乗を参考にしながら腕を磨いていたという話もあるくらいだ。そんな先輩と後輩がGⅠの大舞台で激突し、最後は馬体を並べてゴール。写真判定の末、わずかにハナ差だけ前に出ていたのはヤマニンゼファーだった。
マイルと中距離という異なるカテゴリーでGⅠを制し、父が成し遂げられなかった天皇賞制覇も達成したヤマニンゼファー。そして、2年連続で異なる騎手に初GⅠタイトルをもたらした馬でもあった。
柴田善臣騎手の42年に及ぶ現役生活を振り返るうえで、その飛躍のきっかけとなったヤマニンゼファーの存在は、やはり欠かすことができないだろう。


