
1941年にセントライトが史上初の三冠馬に輝いて以来、2026年のロブチェンまでに25頭の春二冠馬が誕生した。しかし、そのすべてが菊花賞の舞台に立てたわけではない。故障などによって出走が叶わず、三冠への挑戦を断念した馬もいる。それほど三冠への道は険しい。今回は、春の二冠を制し、菊花賞で三冠達成に挑んだ馬たちを振り返る。[4/5ページ]
④メイショウサムソン

無敗の三冠馬ディープインパクトのように、生まれながらに大きな期待を背負い、エリート街道を歩む馬がいるのが競馬の世界だ。
その一方で、デビュー前はそれほど注目されていなかったにもかかわらず、レースを重ねる中で大きな飛躍を遂げる馬もいる。
その代表的な馬が、2000年に年間8戦8勝を達成したテイエムオペラオーだ。
そして、このメイショウサムソンもテイエムオペラオーと同じオペラハウス産駒。生まれながらにクラシックの主役候補と目されていた馬ではなかった。
しかし、メイショウサムソンはレースを使うたびにどんどんと強くなっていった。
2005年7月末の小倉でデビューすると、初勝利は3戦目。2歳時に3勝を挙げるも、デビューから4ヶ月半で7戦を消化していた。さらに重賞でも結果を残し、皐月賞を迎えた時にはすでに10戦目だった。
そんな叩き上げのメイショウサムソンの背中には、デビュー21年目でG1未勝利の石橋守騎手が跨っていた。この馬のデビューから手綱を執り、ようやくたどり着いたG1初制覇の大チャンス。
その大チャンスを見事につかみ、メイショウサムソンは皐月賞を制覇。続くダービーでも勝利を収め、石橋守騎手はG1初制覇からわずか1ヶ月半で、一気にダービージョッキーとなった。
そして迎えた菊花賞。ミスターシービー(1983年)とシンボリルドルフ(1984年)以来となる、2年連続での三冠馬誕生に期待がかかっていた。
しかし、レースは厳しい展開となった。武豊騎手が騎乗するアドマイヤメインが後続を大きく引き離して逃げ、前半1000mの通過は58秒7。3000mの長距離戦とは思えないハイペースだった。
直線では離れた好位集団から抜け出して懸命に前を追ったメイショウサムソンだが伸びを欠き、外を伸びたソングオブウインドが突き抜けた。メイショウサムソンは4着に敗れ、2年連続の三冠馬誕生はならなかった。
G1初制覇から一気に三冠ジョッキーとなるシンデレラストーリーは完結しなかったが、石橋守騎手は後に調教師へ転身し、2025年の宝塚記念をメイショウタバルで制覇した。
そして、その馬上にいたのは武豊騎手。かつて石橋騎手からメイショウサムソンの主戦を引き継いだ人物である。
三冠の夢は叶わなかったが、時を経て再び「メイショウ」の馬でG1を制した石橋守調教師。その勝利を武豊騎手が導いたというのも、何ともドラマチックな話である。


