
1941年にセントライトが史上初の三冠馬に輝いて以来、2026年のロブチェンまでに25頭の春二冠馬が誕生した。しかし、そのすべてが菊花賞の舞台に立てたわけではない。故障などによって出走が叶わず、三冠への挑戦を断念した馬もいる。それほど三冠への道は険しい。今回は、春の二冠を制し、菊花賞で三冠達成に挑んだ馬たちを振り返る。[2/5ページ]
②ネオユニヴァース

一流ジョッキーの感覚というものはすごい。G1を勝つほどの能力を持つ馬なら、一度レースで跨っただけで、その素質が分かるともいう。
ましてや、ダービーを制するような世代トップクラスの馬なら、跨った瞬間に「モノが違う」と感じることもあるのだろう。
ネオユニヴァースの新馬戦に騎乗したのは、当時デビュー7年目の福永祐一騎手だった。
白梅賞、きさらぎ賞でも手綱を執り、騎乗したレースでは3戦3勝。いざクラシックへ、というところだったが、福永騎手は大きな選択を迫られていた。同世代には、福永騎手とのコンビで2歳王者に輝いたエイシンチャンプがいたからである。
2頭はともに瀬戸口勉厩舎の管理馬。トライアルまでは別々の路線を選ぶことができても、クラシック本番で騎乗できるのはどちらか1頭だけだった。
福永騎手はエイシンチャンプを選択し、本番を見据えて皐月賞トライアルのスプリングステークスから、ネオユニヴァースは短期免許のミルコ・デムーロ騎手が騎乗することとなった。
そして結果は、そこから3連勝でネオユニヴァースが春二冠を制覇。一方、エイシンチャンプは皐月賞3着、日本ダービー10着に終わった。
当時、まだ牡馬クラシック制覇のなかった福永騎手にとって、複雑な思いもあったのではないだろうか。それでも、ダービー後に気丈に振る舞っていた姿が印象的だった。
一方、春二冠馬となったネオユニヴァースは、宝塚記念で4着、秋初戦の神戸新聞杯でも3着と連敗。それでも、ナリタブライアン以来9年ぶり、史上6頭目の三冠馬を目指して菊花賞に出走。ゼンノロブロイと人気を二分する単勝2.3倍の1番人気に支持された。
レースでは、中団後ろのポジションからまくるように早めの進出を見せるも、それに抵抗するように先頭へと立ったザッツザプレンティを捕らえることができず、3着に敗戦。史上6頭目の三冠馬誕生はならなかった。
ただ、この後ミルコ・デムーロ騎手は大ブレイクを果たし、JRAジョッキーへの道を歩き出すこととなる。三冠馬とはなれなかったが、名馬が名ジョッキーを生み出す典型例といえるだろう。


