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1985年東京優駿を制したシリウスシンボリ
1985年東京優駿を制したシリウスシンボリ

騎手にとって“ダービージョッキー”の称号は、何よりも特別なものだろう。数々の名手たちが挑み、涙を飲んできた日本ダービー。その頂点を、まだ若いうちに掴み取った騎手たちは果たして誰なのか。今回は、グレード制導入後に日本ダービーを制した騎手の中から、“最年少勝利”ランキングTOP5を振り返る。[3/5ページ]
※記録は2026年5月19日現在のもの

第3位:加藤和宏(29歳2ヶ月22日)

とにかく師匠のために…若き天才の完璧な勝負勘

 日本ダービー最年少制覇ランキング。その上位に、唯一1980年代の記録として入っているのが加藤和宏騎手である。

 1980年代初頭。まだジャパンカップ創設間もない時代、日本競馬界には“最強馬”と呼ぶにふさわしい2頭がいた。ホウヨウボーイとアンバーシャダイである。

 その両馬の主戦騎手は加藤和宏騎手で、管理していたのは二本柳俊夫調教師。まさに「師弟コンビ」で日本競馬界を席巻していた。

 そんな二本柳厩舎へ、新たな期待馬が送り込まれる。シンボリ牧場が託したシリウスシンボリである。

 前年に日本競馬史上初の無敗三冠を達成したシンボリルドルフに続く存在として期待されていた大器。デビュー戦の鞍上は加藤騎手が務めることとなった。

 シリウスシンボリはデビュー戦を圧勝。しかし、2戦目の芙蓉特別では1位入線も、斜行で最下位降着となるなど、まだまだ幼い面が残っていた。

 さらに、いちょう特別も2着に敗れると、同馬を所有する和田共弘氏は岡部幸雄騎手への乗り替わりを希望した。

 しかし二本柳師は、弟子である加藤騎手への信頼を貫いた。その結果、一時はシリウスシンボリが畠山重則厩舎へ転厩する事態にまで発展する。

 その後、厩務員組合や調教師会からも異論が上がり、最終的にシリウスシンボリは再び二本柳厩舎へ戻ることとなった。

 一方で、岡部騎手とは4歳(旧齢)初戦の若葉賞でコンビを組んで勝利。そして再び、シリウスシンボリの手綱は加藤騎手へ託される。

 ここまで紆余曲折を経てきた以上、加藤騎手にとって、このコンビで挑む日本ダービーは絶対に負けられない舞台だった。

 本来なら最大のライバルとなるはずだったミホシンザンは、皐月賞を制した後に骨折で離脱。混戦模様となったダービーで、シリウスシンボリと加藤騎手は1番人気に支持された。

 当然、そのプレッシャーは計り知れないものだったはずだ。しかし当日の加藤騎手は、不思議とそこまで緊張していなかったという。

 のちに本人が「ゾーンに入るとはああいう状態のことなのかもしれない」と語るほど、極限まで集中していた。

 レースが始まると、シリウスシンボリは前目へ取り付く。直線へ向いたところで、加藤騎手は最大のライバルと見ていたスダホークへ早めに並びかけた。

 この日の東京競馬場は雨による道悪。スダホークは荒れた馬場が非常に得意な馬ということを分かっていたからこそ、加藤騎手は早めに仕掛けて叩き合いに持ち込んだ。その判断は完璧だった。

 そしてその目論見通り、シリウスシンボリはスダホークを交わし、追い込んできた岡部幸雄騎手の騎乗するスクラムダイナも抑え切って勝利。

 後に調教師となった加藤師は、このダービーについて「とにかく師匠に捧げたいと思っていたダービーでした」と語っている。

 師匠の期待に応え、最高の結果で恩返ししたのは、加藤騎手が持つ強心臓ゆえだろう。

 そしてシリウスシンボリはここからヨーロッパ遠征し、環境の異なる海外競馬へ果敢に挑戦していくことになる。

 強い精神力を持つ人馬が巡り合ったからこそ生まれた、日本ダービー史に残る劇的勝利だったのかもしれない。

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