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1999年日本ダービーを制したアドマイヤベガ
1999年日本ダービーを制したアドマイヤベガ

②1999年日本ダービー(アドマイヤベガ)

~ダービーポジションがん無視からの直線一気~

 シャダイカグラの桜花賞制覇からちょうど10年後、武豊騎手はすでに日本競馬界の、いや日本スポーツ界の顔に上り詰めていた。

 前年の1998年にはスペシャルウィークとのコンビで悲願のダービー制覇を遂げ、当時の武騎手はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。そんな中、99年の牡馬クラシック路線をともに歩んだのが、超良血馬のアドマイヤベガだった。同馬の母は武騎手を背に2冠牝馬に輝いたベガであり、父は日本競馬界の歴史を塗り替えたサンデーサイレンス。デビュー前からG1を幾つ勝つかと言われるほどの注目馬だったことは想像に難くない。

 ところがデビュー戦で1位入線を果たすも4着降着というまさかの黒星スタート。2戦目のエリカ賞と3戦目のラジオたんぱ杯3歳Sを連勝したものの、どこか順調さに欠ける雰囲気を醸し出していた。

 明け4歳(現3歳)を迎え、悪い予感は的中する。始動戦の弥生賞で、強烈な末脚を繰り出すもナリタトップロードの2着に敗れると、続く皐月賞は体調不良と長距離輸送による大幅な馬体重減が響き、6着に敗れてしまう。

 そして迎えたのが第66回日本ダービーであった。キャリア6戦目にして初めて2番人気に甘んじたアドマイヤベガ。強烈な瞬発力を武器としていたアドマイヤベガは、1枠2番から好スタートを決めるも、武騎手はじっくり構えて後方からの競馬を選択する。

 かつてダービーが20頭を超える多頭数で行われていた時代は“ダービーポジション”なるものが存在していた。「ダービーを勝つには10番手以内に付けなければならない」というものだが、最大18頭立てとなったこの頃もまだその格言は重視されていたように記憶する。位置取りがモノをいうダービーにおいて、武騎手とアドマイヤベガは最初のコーナーを後方3番手で通過。ただ終始、経済コースを通ってスタミナを温存することには成功していた。

 レースが動いたのは、府中名物「大ケヤキ」の少し手前、残り1000mを通過した辺りだった。上位人気を分け合ったナリタトップロードとテイエムオペラオーがそれぞれ中団やや後方からいち早く押し上げていくと、ワンテンポ遅れて武騎手もスパートを開始。武騎手は4コーナー手前で内から外へうまく持ち出したものの、アドマイヤベガはまだ後方5番手という位置取りだった。

 最後の直線を向いて、3強の中からいち早く抜け出したのはテイエムオペラオーだった。残り300mを切った辺りで先頭に躍り出るが、そのすぐ外にナリタトップロードとアドマイヤベガが忍び寄っていた。残り150m地点でまずテイエムオペラオーが脱落。今度はナリタトップロードが先頭に立った。しかし、最後の最後に極上の切れ味を発揮したのはアドマイヤベガだった。

 大外から図ったように差し切った武騎手は先頭で入線後、勝利を確信。右手で何度も握りこぶしをつくり、ダービー2連覇の味をかみしめた。

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