「歓喜の涙、至福の笑顔…」名騎手の日本ダービー初制覇(3)一気に爆発…! 最強の荒れ馬を導いた最高の手綱
現代では数多くのG1レースが行われているが、それでも「ダービーだけは別格」と語る騎手は少なくない。だからこそ、彼らが初めてその大舞台を制した瞬間は、私たちの記憶にも深く刻まれるのだろう。今回は、“ダービー初制覇”を成し遂げた騎手たちの中から、特に印象深い5名を選び、それぞれの物語をたどっていく。今回は3人目の騎手。
③池添謙一(7度目の騎乗)
2009年、史上6頭目となる春秋グランプリ制覇を果たしたドリームジャーニー。その手綱を取った池添謙一騎手は、翌年の新潟で彼の全弟と邂逅する。兄同様、高い素質をデビュー戦から見せたオルフェーヴルだったが、やや荒い気性がネックとなり、2歳のオープン時は成績が安定していなかった。
明けて3歳となった後も、重賞を2戦して勝ち切れなかったオルフェーヴル。だが、池添騎手は先を見据え、徹底してオルフェーヴルに競馬を教え込んでいた。管理する池江泰寿師も「勝つのはダービーでいい」と池添騎手に声をかけ、春の大舞台で活躍するための力をオルフェーヴルへ確実に蓄えさせていった。
そしてその教えが結実し、オルフェーヴルは一冠目の皐月賞を制覇。大本命としてダービーに臨むパートナーに跨った池添騎手は「いつも通り」を心掛け、冷静にパートナーと道中を駆けて行く。そして迎えた直線、一瞬前が壁になったがすぐさま池添騎手は内へ誘導して道を作ると、オルフェーヴルはそこを爆発的な末脚で伸び、そのまま先頭でゴール坂を駆け抜けて二冠を達成。その強さは、三冠をはっきりと予感させるものとなった。
ゴールした後、池添騎手は馬上で人差し指を天に突き立てた。それは「G1を勝ったら天を指して報告する」という、他界した伯父との約束。「オレはダービーを勝ったぞ」という、雨の府中から届けた最高の報告は、きっと届いていたはずだ。
【了】
(文●小早川涼風)
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