トウカイテイオー~“偉大な父”の背を追って……中363日の復活劇~
トウカイテイオー(Tokai Teio)
トウカイテイオーは、シンボリルドルフの1年目産駒でデビュー前から注目を浴びた。その期待に応え、無敗で皐月賞と日本ダービーの二冠を獲得。しかし、三冠が達成が見えた矢先に骨折が判明。父子三冠の夢は絶たれた。その後も度重なる故障があったが、有馬記念での奇跡の復活劇は人々を驚愕させた。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | シンボリルドルフ | |
母 | トウカイナチュラル | |
生年月日 | 1988年4月20日 | |
馬主 | 内村正則 | |
調教師 | 松元省一 | |
生産者 | 長浜牧場 | |
通算成績 | 12戦9勝【9-0-0-3】 | |
獲得賞金 | 6億2563万3500円 | |
主な勝ち鞍 | 1991年 日本ダービー 1992年 ジャパンカップ 1993年 有馬記念 |
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受賞歴 | 1991年 JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬、最優秀父内国産馬 1993年 JRA賞特別賞 1995年 JRA顕彰馬選出 |
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産駒成績 | 産駒デビュー年:1998年 | |
通算重賞勝利数:7勝 | ||
通算G1勝利数:2勝 | ||
代表産駒 | トウカイポイント(2002年 マイルチャンピオンシップ) ヤマニンシュクル(2003年 阪神ジュベナイルフィリーズ) |
“偉大な父”の背中を追い求め
【写真で見る】トウカイテイオーの軌跡 ~ラストランで奇跡の復活を果たした帝王~
父はクラシック三冠を含むGⅠ7勝を挙げ、「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフ、母はオークス馬・トウカイローマンの半妹であるトウカイナチュラルの2番目の仔として生まれたのが、トウカイテイオーであった。シンボリルドルフの1年目の産駒ということで、デビュー前から注目されていた。
1990年12月のデビュー戦では、持ったまま4馬身差の圧勝をして、1番人気に応える。次走のシクラメンステークスでは3番人気となったものの、ここでも2馬身差をつけて勝利し、クラシックへの期待が高まった。
年が明け4歳になったトウカイテイオー陣営は、無駄なダメージを避けるために、クラシックトライアルに向かわない選択肢をとる。オープンの若駒ステークスで快勝した後に、皐月賞と同じ舞台の中山2000mで行われる若葉ステークスを選んだ。
これまでの3戦で一度も鞭を使わずに圧勝してきたという評判は、単勝支持率66.28%、単勝1.2倍というオッズ面にも表れていた。このレースでも一度も鞭を使わずに2馬身差で勝利する。
そして、いざクラシックへ。同世代の強豪たちと戦わなかった選択は吉と出るか、凶と出るか。
クラシック初戦の皐月賞は、大外枠の8枠18番に入ったことから不安視する見方もあったが、ゴール前で鞍上の安田隆行が手綱を抑える余裕を見せる強さで勝利する。この勝利は「親子二代での無敗三冠」の偉業が現実味を帯びてきた瞬間でもあった。
二冠目として迎えた日本ダービーは、3馬身差をつける圧勝で、父をも超えるレースぶりを見せた。無敗で底が見えないトウカイテイオーは同世代では敵なしであり、三冠馬になるのはほぼ確実と目されていた。
しかし、その夢は絶たれることとなる。日本ダービーの表彰式直後、歩様に異常が見られ、左第3足根骨骨折で全治6ヶ月と診断される。最後の一冠である菊花賞への出走は叶わず、年内は休養することになった。
5歳になり、ターフに戻ってきたトウカイテイオーは、日本ダービー以来315日ぶりのレースとなる産経大阪杯に出走する。前年の有馬記念を制したダイユウサクや、同世代のイブキマイカグラなど強豪が集まったため、苦戦も予想されていた。
しかし、トウカイテイオーは鞍上の岡部幸雄が最後の直線で追うことなく進出していき、格の違いを感じさせる圧勝劇を見せつけた。そして、陣営が次のレースに選んだのは天皇賞(春)であった。
このレースでは最強の相手が立ち塞がることとなる。それは日本競馬史上でも最強ステイヤーと名高いメジロマックイーンだ。前年の天皇賞(春)をレコードで制し、連覇を狙い出走してきた。
未だに底が見えないトウカイテイオー、歴代屈指の最強ステイヤーであるメジロマックイーン、はたしてどちらが強いのか。この年の天皇賞(春)は異様な盛り上がりを見せた。
レースはトウカイテイオーがメジロマックイーンをマークする形で進んでいき、最後の直線で突き放しにかかるメジロマックイーンに並びかけにいく。
ところが、トウカイテイオーは伸びきれずにずるずると後退して、結果メジロマックイーンの5着に敗れてしまう。無敗の戦績に傷がつくとともに、レース後に二度目の骨折が判明して再び休養に入る。
復帰戦となった天皇賞(秋)は休み明けの影響なのか折り合いを欠き、7着に終わる。また同世代の競走成績が良くなかったこともあり、「トウカイテイオーがクラシックで強くみえたのは周りのレベルが低かったから」などの声が聞かれるようになってきた。
そのような喧騒と多くの強豪海外馬の集結が影響し、次戦のジャパンカップでは生涯最低となる単勝オッズ5番人気に評価を落とした。
しかし、トウカイテイオーはやはり強かった。直線で中段から手ごたえよく上がり、最後は海外馬ナチュラリズムとの叩き合いをクビ差で制した。これにより1985年のジャパンカップ優勝馬である父・シンボリルドルフとの父子制覇を達成した。続く年末の有馬記念では1番人気に推されたものの、11着という初めての二桁着順に沈んだ。
6歳となったトウカイテイオーは再び骨折や筋肉のトラブルなどが続き、復帰戦は有馬記念となった。364日ぶりのレース、馬体重14キロ増、前年の有馬記念で惨敗などあまりにも不安な要素が多すぎた。それでも4番人気になったのは、彼を信じていたファンが多くいた表れだろう。
その期待に天才は応えた。中段でレースを進めたトウカイテイオーは、最後の直線に入ると先に抜け出した1番人気のビワハヤヒデを猛追し、競り合いを制して半馬身差で勝利した。前回の出走から中364日でのGⅠ勝利という記録はいまだに破られていない大偉業となっている。
引退後のトウカイテイオーは種牡馬となりシンボリルドルフの血を繋ぐ責務を担い、トウカイポイント(マイルチャンピオンシップなど)やストロングブラッド(かしわ記念など)などを輩出したものの、後継者を出すことができなかった。
しかし、この血を途切れさせてはならないと産駒のクワイトファインを種牡馬にするプロジェクトが立ち上がり、その産駒が誕生している。クワイトファインはシンボリルドルフ、ミスターシービー、シンザンという3頭の三冠馬の血が入っており、日本競馬のロマンが詰まっている血統になっている。
栄光と挫折を繰り返した馬生は人々の感動を呼び、偉大な皇帝の背中を追い続けたトウカイテイオーもまた偉大な帝王であった。
※本文中の馬齢は当時の表記
【了】
(文●沼崎英斗)