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ウオッカとダスカの大接戦など……平成の競馬史を象徴する超名勝負だらけ【天皇賞秋 名勝負②】

text by 中西友馬

天皇賞(秋)は、もともと春の天皇賞と同じく芝3200mで行われていたが、1984年からは芝2000mで行われるようになった。それ以降は、中距離最強馬決定戦という位置づけとなり、2000年からは、ジャパンカップ、有馬記念とともに秋古馬3冠と呼ばれ、その1冠目を担っている。そして名前の通り、天皇皇后両陛下が御臨席されることもあり、2023年までに3度の天覧競馬が行われている。施行回数は春秋で通算のため、すでに160回を超える天皇賞(秋)の歴史の中から、10のレースのをピックアップ。後半は、21世紀に入ってからの5つのレースを紹介する。

Agnes Digital
第124回天皇賞(秋)を制したときのアグネスデジタル

⑥2001年(勝ち馬アグネスデジタル)

 1999年まで、外国産馬に天皇賞の出走権利はなかった。しかし2000年、ついに外国産馬の出走が2頭まで認められた。その後2002年には4頭、2004年には最大5頭が出走可能となり、2005年からは出走制限が撤廃された。そんな変遷をたどるが、まだ外国産馬の出走が2頭までしか認められていなかった、2001年の天皇賞(秋)

 この年の天皇賞(秋)には、2頭の外国産馬が出走を予定していた。1頭目は、この当時最強馬であったテイエムオペラオーの永遠のライバル、メイショウドトウ。

 そして2頭目は、NHKマイルカップの覇者である3歳馬クロフネであった。しかし、レースまで3週間を切ったタイミングで、1頭の外国産馬が天皇賞(秋)出走を表明する。それがアグネスデジタルであった。

 前年のマイルCSを制していたアグネスデジタルは、天皇賞(秋)の3週間前に、ダートのマイルCS南部杯を勝利。グレード制導入後初となる、芝・ダート両方でのG1級制覇を達成していた。この後は、連覇を目指してマイルCSに出走。誰もがそう思っていたが、陣営は芝のレースでは初となる2000m出走を表明したのである。

 これによって、賞金順で外国産馬3番目となったクロフネは天皇賞(秋)出走を断念。前日の武蔵野ステークスへと出走し、衝撃的な勝ち方を披露することとなる。

 しかしアグネスデジタル陣営のこの判断には、批判の声も多く集まった。「アグネスデジタルが出たってどうせ勝てるわけないのだから、おとなしくマイルCSに出走していれば、クロフネが天皇賞(秋)に出走できたのに。」という主旨のコメントが多かったそうだが、アグネスデジタルはその周囲の雑音を、自身の走りで黙らせてみせた。

 この時、中長距離路線で度々見られていたテイエムオペラオーとメイショウドトウの2頭での決着か、と思われたところを、離れた外から末脚一閃。雨の降る重馬場も味方につけ、2頭をまとめて差し切る圧巻のレースであった。

 そしてこの勝利は、外国産馬解禁2年目にして、史上初となる外国産馬による天皇賞制覇となった。その後も現役引退までに、芝・ダートともに複数のG1級勝利を挙げ、史上最強の二刀流と呼ばれたアグネスデジタル。芝・ダート不問なだけでなく、マイルと中距離の二刀流でもあった。

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