キタサンブラックやタイトルホルダーが登場!秋の淀を彩ったクラシック最終戦【菊花賞 名勝負5選②】
1938年に創設され、1948年から現在の名称となった菊花賞。クラシック3冠の最終関門である菊花賞は、阪神競馬場で行われた過去3回を除いては京都芝3000mを舞台に行われ、「最も強い馬が勝つ」レースと称されている。そんな80回以上行われている菊花賞の歴史から、10のレースをピックアップ。その中から後半は、2003年以降の5つのレースを紹介する。
⑥2003年(勝ち馬ザッツザプレンティ)
ヒシミラクルが起こした大波乱の菊花賞の翌年。2003年の菊花賞は、史上6頭目となる3冠馬誕生の可能性に色めき立っていた。
王手をかけていたのはネオユニヴァース。しかし、ダービー後に宝塚記念で4着となり、菊花賞の前哨戦である神戸新聞杯でも、ゼンノロブロイに決定的な差をつけられての3着に敗れていた。
その結果、同じく王手をかけていたミホノブルボンの時のような雰囲気はなく、単勝オッズも2.3倍の1番人気ながら、2番人気のゼンノロブロイが2.5倍と肉薄。6.1倍の3番人気だったサクラプレジデントを含めての3強ムードに近かった。
レースは、シルクチャンピオンがハナを切り、有力馬は中団から後方寄りに構える展開。3強の中で一番前の位置どりは、中団の前方で進めるゼンノロブロイ。サクラプレジデントとネオユニヴァースは、並ぶように後方で脚をためていた。
レースが動いたのは3角手前。ネオユニヴァースが仕掛け気味にポジションを上げ、それに呼応したのが中団にいたザッツザプレンティとヴィータローザ。一気にザッツザプレンティ4角手前で先頭に立ち、その後ろにヴィータローザとネオユニヴァースが並ぶ形で最後の直線へと向かう。
直線は、逃げるザッツザプレンティを追うネオユニヴァース。ヴィータローザは失速し、ネオユニヴァースの外からマッキーマックスも差を詰める。
ネオユニヴァースからすると、皐月賞とダービーでは難なく交わしていたザッツザプレンティとの1馬身差が詰まらない。最後までネオユニヴァースに並ばせなかったザッツザプレンティが、4角先頭から押し切って勝利。
最後に力尽きたネオユニヴァースは、外を伸びたリンカーンにも交わされて3着。3冠達成はならなかった。
勝ったザッツザプレンティは、皐月賞8着、ダービー3着からの逆転で最後の1冠を奪取した。長く良い脚を使うこの馬の特徴を生かす、ロングスパートがハマった勝利。JRA移籍初年度であった、安藤勝己騎手の好判断も光るレースであった。