HOME » コラム » レジェンドホース名鑑 » エルコンドルパサー ~黄金世代の一翼を担う”怪鳥” 日本競馬の悲願に迫った異才~

エルコンドルパサー ~黄金世代の一翼を担う”怪鳥” 日本競馬の悲願に迫った異才~

text by 目白明

El Condor Pasa

プロフィール

性別 牡馬
Kingmambo
Saddlers Gal
生年月日 1995年3月17日
馬主 渡邊隆
調教師 二ノ宮敬宇
生産者 Takashi Watanabe(米)
通算成績 11戦8勝【8-3-0-0】
獲得賞金 3億7607万8000円
主な勝ち 1998年 NHKマイルカップ
1998年 ジャパンカップ
1999年 サンクルー大賞(フランス)
代表産駒(主な勝ち鞍) ソングオブウインド (2006年菊花賞)
ヴァーミリアン (2007年ジャパンカップダート)

常識外れの怪鳥、世界に大きく羽ばたく

 エルコンドルパサーは馬主である渡邊隆氏の信念が実る形で誕生した。父はKingmambo、母は渡邊氏の持ち馬であるSaddlers Gal。そのSaddlers GalにKingmamboの種をつけることはその両方の血をさかのぼると同血率が25%という強い近親配合となり常識では配合されることはないが、渡邊氏の強い血統信念によって生まれた同馬はその強さもまた常識を大きく超えていた。

 1997年11月、デビューの舞台は東京競馬場ダート1600m。スタートは出遅れるも直線では最後方から大外をゴボウ抜きで7馬身の圧勝、続くダートの条件戦も9馬身差の圧勝であった。鞍上が同じ的場騎手で同世代の外国産馬グラスワンダーに引けをとらない圧巻のパフォーマンスを見せつけた。

 年が明けた1998年緒戦は共同通信杯。芝適性をはかるには絶好の舞台だったが、東京競馬場は前夜から降り積もった雪の影響により芝が使用できず、ダートに変更となった。そのダートコースも田んぼのようにぬかるんだ最悪の状態だったが、それを物ともせず上がり最速の35秒6の脚を披露し2馬身差の勝利。芝適性ははかれなかったが重賞初制覇を飾った。

 春の大目標NHKマイルCの前哨戦NZT4歳Sで芝初挑戦。初めてのためか返し馬で物見する場面はあったが終わってみれば2馬身差の快勝。強い馬にコース適性は関係ないことを証明して見せた。そして迎えた春の大目標NHKマイルCは最大のライバル・グラスワンダーがケガで戦線離脱、もはや敵は存在せず快勝。無傷の5連勝でG1初制覇をあげた。

 秋初戦は今なお伝説と語り継がれる10月の毎日王冠。快速王サイレンススズカ、怪我から復帰したグラスワンダーと三つ巴の戦いとなった。ここまでコンビを組んだ的場騎手がグラスワンダーに騎乗するため、蛯名騎手に乗り替わった。レースでは、直線まで快速王に食らいついたが最後は振り負けての2着。初黒星を喫したが次に陣営が自信を持って選んだレースが、のちに「平成の名勝負」ともうたわれるジャパンCだった。

 この年の日本ダービー馬スペシャルウィーク、前年の天皇賞(秋)を制した女傑エアグルーヴとの初対戦は大きな注目を浴びた。当時、外国産馬にはクラシックレースへの出走資格がなく外国産馬最強と言われたエルコンドルパサーの参戦にファンは大いに沸いた。また同世代のダービー馬スペシャルウィークとの初対決は注目を浴び、さらには2歳上のエアグルーヴも加わり注目度は一層増した。

 距離不安がささやかれたエルコンドルパサーであったが、フタを開けてみるとダービー馬も女傑も直線でまとめて置き去りにする快勝。ジャパンCを4歳馬が制したのは史上初のことであった。この快挙で二冠馬セイウンスカイを抑えて最優秀4歳牡馬を受賞した。名実ともに国内最強を証明したエルコンドルパサーは翌年に活躍の舞台を欧州へと移した。

 1999年当時の日本競馬は前年の1998年にシーキングザパール、タイキシャトルが欧州GⅠを初めて勝利した。だが、中・長距離以上を得意とする日本調教馬が海外で勝利することはおろか、遠征することも珍しかった。

 そんな時代にエルコンドルパサー陣営は最大の目標を日本競馬の夢、凱旋門賞制覇に定めた。その最善策として欧州の環境に慣れさせるため異例の約半年間、仏を拠点に長期遠征を敢行したのだ。その結果はすぐに表れる。

 遠征初陣の5月、仏・イスパーン賞は2着に破れるが、次に挑んだ7月、仏・サンクルー大賞。3、4番手の追走から直線、前を行く馬を交わし欧州遠征初勝利を飾ると同時にこの勝利は現在でも唯一である日本調教馬の欧州における2400mでのG1勝利となった。夏の休養を挟み次は凱旋門賞と同じ仏・ロンシャン競馬場の2400mで行われる仏・フォワ賞に出走する。

 異例の3頭立てのレースは押し出されるように先頭で引っ張る形となる。一度は交わされるが、最後は抜き返し先頭でゴールイン。見事同舞台、同距離の前哨戦を勝利し大目標へ準備は整った。

 次はいよいよこの長期遠征の大目標にして日本競馬の夢、仏・凱旋門賞。陣営は最高の状態でエルコンドルパサーを送り出した。日本競馬の悲願達成に向け最大のライバルと目されていたのはこの年のアイルランド・フランスのダービーを制したモンジュー。10月のパリロンシャン競馬場があるパリは雨が多くレース当日も芝がぬかるんだ不良馬場であった。

 それでも長期遠征で培った重たい欧州の芝コースへの対応能力が備わっていたエルコンドルパサーはスタート良く飛び出し前走同様に先頭に立つ。最後の直線でも先頭を保ったまま日本競馬の悲願達成かと競馬ファンの心を躍らせた瞬間、ライバル・モンジューが猛然と追いあげ残り100mで交わされ半馬身差の2着。

 日本競馬の悲願達成とはならなかったが3着との差が6馬身もあり、エルコンドルパサーの実力は海外でも認められたのである。

 凱旋門賞での勝利こそ逃したが、海外実績を高く評価されて、この年は日本で未出走ながら年度代表馬を受賞した。

 引退後、種牡馬入りしたが7歳という若さでこの世を去ったエルコンドルパサー。日本競馬の期待を背負い世界へ大きく羽ばたいたその雄姿は誰も忘れない。

※本文中の馬齢は当時の表記

1 2