
中央競馬のG1競走は、2025年時点で年間わずか24レースしか行われない。その希少さゆえにホースマンなら誰もが憧れる舞台となる。本記事では、1984年のグレード制導入以降に、JRAのG1タイトルを手にした騎手について、勝利数トップ10をランキング形式で振り返る。[8/10ページ]
第3位 ミルコ・デムーロ(34勝)
1999年に20歳でJRA短期騎手免許を取得して初来日して以来、G1を34勝挙げているミルコ・デムーロ騎手がトップ3に食い込んだ。
外国人にも受験資格が与えられた2015年には見事に試験を突破。念願叶ってJRAジョッキーとなったM.デムーロのJRAでの通算勝ち鞍は1300勝以上。
重賞も短期免許で来日中の2001年にミスズシャルダンとのコンビで制した小倉大賞典を皮切りに、ここまで112勝。驚異的なスピードで勝利数を積み重ねた。
初G1勝利は短期免許期間中の2003年。ネオユニヴァースに騎乗して皐月賞の戴冠を果たした。そのままのコンビで日本ダービーに参戦すると、見事な差し切りで1番人気に応え牡馬クラシック2冠奪取に導いた。
翌年にもダイワメジャーで皐月賞連覇を果たすなど短期免許期間中に挙げたG1勝利数は10回に及ぶ。
その間、2011年に東日本大震災の起こった直後に行われたドバイワールドカップでヴィクトワールピサを優勝へ導くと、馬上のインタビューでは日本愛を伝えながら日本に勇気と希望をもたらした。
また天覧競馬となった12年、エイシンフラッシュで天皇賞(秋)を制したウイニングランの際に、途中で下馬し、陛下に深々と頭を下げた。
違反行為を犯してまで謝意を伝えたシーンは、競馬ファンならずとも胸を熱くさせた。
その後JRAの通年免許を得た2015年、早くも皐月賞&日本ダービーを名馬ドゥラメンテで制覇。期待通りの活躍ぶりで113勝を挙げリーディング争いでも3位に入った。
16年にジュエラーで桜花賞優勝などG1を年間4勝、17年にはゴールドドリームでフェブラリーS、サトノクラウンで宝塚記念、キセキを駆って菊花賞を制すなどG1・6勝を加えた。
18年に入っても勢いは止まらず、スワーヴリチャードで大阪杯、ルヴァンスレーヴでチャンピオンズCを勝つなどG1を4勝し、17年に続いてリーディング2位と大活躍した。
19年は、前年にコンビで朝日杯FSを制したアドマイヤマーズに騎乗し、NHKマイルCを制覇した。
また、ラヴズオンリーユーに騎乗してオークス戴冠を遂げるなど活躍をみせたが、リーディングでは91勝で7位に終わり、徐々にミルコらしさを失い始めていた。
有力馬への騎乗機会が減少し始めてきた中、2021年にユーバーレーベンでオークスを制すなど、依然その騎乗センスに衰えを見せなかったミルコ。
しかし、同年12月のサークルオブライフで制した阪神JFを最後にJRA・G1勝ちから遠ざかると、2025年には数か月に及ぶアメリカ遠征という大きな決断を下す。
日本の心を持つ46歳のイタリアンは、飽くなき向上心と卓越した騎乗技術を武器にアメリカで結果を残し、約5か月ぶりにJRAへ帰還。復帰初週にしっかり勝利を挙げ、存在感を示した。



