
中央競馬のG1競走は、2025年時点で年間わずか24レースしか行われない。その希少さゆえにホースマンなら誰もが憧れる舞台となる。本記事では、1984年のグレード制導入以降に、JRAのG1タイトルを手にした騎手について、勝利数トップ10をランキング形式で振り返る。[6/10ページ]
第5位 岡部幸雄(31勝)
1967年、馬事公苑の騎手養成所「花の15期生」としてデビューした岡部幸雄は、同期に“天才”と称された福永洋一や、G1・5勝を含む重賞40勝の柴田政人らが名を連ねる中、G1通算31勝を挙げて堂々5位にランクインした。
岡部氏はグレード制導入前のデビューのため、1978年にグリーングラスで勝った天皇賞(春)、71年カネヒムロ、80年ケイキロク、83年ダイナカールに騎乗して勝利したオークスなど、現在G1となっているレースを9勝している。
しかし、このランキングではカウントされていない。それでもこのG1勝ち数は驚異的といえるだろう。まさに“レジェンド”の名にふさわしい名手だった。
デビュー当初は福永洋一の華々しい活躍に比べれば目立たなかったものの、堅実な成績を積み上げていた岡部氏。
それが一躍スター騎手として脚光を浴びる転機となったのは、現在でも必ず「最強馬論争」に加わる“皇帝”シンボリルドルフとの出会いである。
1984年、グレード制導入を待っていたかのように登場したのがシンボリルドルフ。岡部氏は同馬で初のG1勝ちとなる皐月賞を制覇。
その後日本ダービーと菊花賞の三冠を無敗で制し、有馬記念、翌年の天皇賞(春)、ジャパンカップ、2度目の有馬記念を制すなどG1・7勝を積み上げた。
88年には伝説のアイドルホース・オグリキャップに騎乗し自身3度目の有馬記念制覇。89年にバンブーメモリーで安田記念を、90年にはヤエノムテキに騎乗して天皇賞(秋)を制すなど、着実に結果を残し続けた。
91年にレオダーバンで菊花賞を制した翌年、実績と信頼が結びついた岡部氏にシンボリルドルフ産駒の人気馬トウカイテイオーの騎乗依頼が舞い込んだ。
同馬とのコンビで世界の並み居る強豪を蹴散らし、父子2代に渡る騎乗でジャパンカップ制覇を成し遂げることになる。
堅実無比な技術が備わった岡部氏に名馬への騎乗依頼は後を絶たなかった。1993年に菊花賞、94年の天皇賞(春)、宝塚記念を制したビワハヤヒデは最たる例である。
藤沢和雄厩舎との信頼関係も厚く、シンコウラブリイ(93年マイルCS)、バブルガムフェロー(95年朝日杯3歳S)、シンコウキング(97年高松宮杯)、タイキブリザード(安田記念)など、数々の名馬の手綱を取った。
岡部氏の騎手人生晩年のハイライトといえば、仏G1のジャックルマロワ賞を制した名マイラー・タイキシャトルにほかならない。
同馬に騎乗し、97年のスプリンターズS、98年の安田記念とマイルCSを制した。2005年に静かに鞭を置いた岡部氏の騎手人生は、日本競馬を新時代へと切り開き、今もその功績は競馬界の財産となっている。



