
中央競馬のG1競走は、2025年時点で年間わずか24レースしか行われない。その希少さゆえにホースマンなら誰もが憧れる舞台となる。本記事では、1984年のグレード制導入以降に、JRAのG1タイトルを手にした騎手について、勝利数トップ10をランキング形式で振り返る。[4/10ページ]
第7位タイ 横山典弘(27勝)
元騎手の父・横山富雄のDNAを受け継ぐ競馬一家に生まれた横山典弘騎手がG1通算27勝で7位タイに入った。
タイトルホルダーの手綱を執り天皇賞(春)などを勝った横山和生騎手や、エフフォーリアらとのコンビで数々のG1勝ちを果たしている横山武史騎手らが子息にいる横山典弘騎手。
単騎大逃げや、ポツン最後方追走など、誰も想定していなかったポジショニングから馬の持てる力を発揮させるセンスに長ける。
2025年12月7日終了時点で、歴代2位となる通算2994の勝ち星を誇る大ベテラン。その巧みな手綱さばきは歳を重ねるごとに凄みを増している。
デビュー5年目の23歳時に1990年のエリザベス女王杯で、単勝13.6倍の8番人気のキョウエイタップを見事な追い込みで優勝に導き初G1制覇。
そして名手が大きく飛躍を遂げたのが1991年の宝塚記念ではなかろうか。早くから素質を評価され続けながら、それまでG1勝ちにあと一歩及ばず、鞍上交代論まで沸き起こっていたメジロライアンとのコンビだ。
これまで中団からレースを進めて直線での差し脚を武器にしていた同馬。だがこのレースでは好位抜け出しが得意パターンの断然人気メジロマックイーンより前で進めた。
4コーナー早め先頭から押し切る横綱相撲でG1・6度目の挑戦をモノにし、惜敗続きの鬱憤を晴らした。
1995年の安田記念では、トロットサンダーに騎乗して優勝。翌年には同馬でマイルCSを制し、サクラローレルで天皇賞(春)、有馬記念と2つのG1勝ちを加えた。
また2010年のオークスでは、サンテミリオンに騎乗し、三冠牝馬アパパネとG1史上初の同着優勝を記録した。
さらに、14、15年に鞍上を務めた“稀代のクセ馬”ゴールドシップで、宝塚記念と天皇賞(春)を制したこともキャリアに花を添えた。
だが名手の天才的な発想力と蓄積された経験がかみ合ったG1優勝でインパクト大だったのは、セイウンスカイを駆り1998年の皐月賞と菊花賞の2冠制覇。
そして、大観衆をあっと驚かせる大逃げで単勝オッズ70倍の10番人気だったイングランディーレを優勝に導いた2004年の天皇賞(春)であろう。
また、09年には日本ダービーで、ロジユニヴァースとコンビを組みダービージョッキーの称号を獲得。
次いで14年にはワンアンドオンリーで同レース2勝目を挙げた。2024年にはダノンデサイルで日本ダービー3勝目を、史上最年長優勝記録を塗り替える56歳3か月で制したことも記憶に新しい。
天性の騎乗技術と重ねられた経験は、今後も若手の手本となり、大舞台を沸かせ続けてくれそうだ。



