③1995年(勝ち馬ラムタラ)
トニービンの勝利から7年が経った、1995年の凱旋門賞。この年の主役は、無敗の欧州3冠に王手をかけていた、ラムタラであった。
ラムタラはダンシングブレーヴと同じく、アメリカ生産のイギリス馬。2歳時は1戦1勝にとどまり、その後肺の感染症によって長期離脱を余儀なくされてしまう。
復帰した頃には既にクラシックシーズンを迎えており、ラムタラの2戦目は英ダービー。この異例の挑戦にラムタラは結果で応え、コースレコードでダービー馬となった。
これは史上3頭目となるキャリア1戦でのダービー制覇となり、2歳時からの休み明けでの勝利は史上初の快挙となった。その後キングジョージも勝利し、3戦3勝で迎えたのが凱旋門賞であった。
ラムタラの強さに対して懐疑的な声も大きかったが、まだ底を見せていない魅力に期待も集まっていた。事実、単勝オッズでは連覇を狙うカーネギーなどを抑え、1番人気に支持されての発走となった。
レースは、今まで後方待機策をしてきたラムタラが、一転2〜3番手につける展開。他の有力馬たちを後ろに置いての競馬となる。その位置からラムタラは早めにスパートし、残り500mで逃げるルソーを捕えて先頭に立つ。しかし、その外からスウェインとフリーダムクライも伸びてきて、直線は3頭での三つ巴の争いとなる。勢いは外の2頭のほうが良く映ったが、最後は伸び返すように突き放したラムタラが、フリーダムクライに1馬身の差をつけ勝利。
4戦4勝で、無敗の凱旋門賞馬が誕生した。それと同時に、史上2頭目の欧州3冠も達成となった。
ラムタラはその10日後に現役を引退し、種牡馬入りを発表。1年欧州で種付けをした後、3000万ドルという破格の条件で日本に輸入された。しかし重賞馬は数頭輩出するも、ついに産駒からG1馬は誕生しなかった。「神の馬」と称されたラムタラの日本導入は大きな期待を集めただけに、この結果に落胆する声も大きかった。