②1988年(勝ち馬トニービン)
ダンシングブレーヴが勝利した翌年となる、1987年の凱旋門賞。このレースも、別の意味で衝撃のレースとなった。
勝利したのはトランポリーノ。ダンシングブレーヴの鞍上も務めていたエデリー騎手が3連覇を達成したのだが、その2着に、11頭立て11番人気の無名のイタリア馬が入ったのである。それが、日本でも馴染みのあるトニービンであった。
トニービンは翌年の1988年、キングジョージで3着に入るなど、さらに実績を重ねた。そして地元イタリアのフェデリコテシオ賞からの連闘策という異例のローテーションで、凱旋門賞に再挑戦した。トニービンは、直前オッズで単勝5番人気。キングジョージでトニービンに勝利している、ムトトが1番人気に支持されていた。
レースは速めのペースで進み、トニービンは中団やや後方寄りからの追走。馬群の中でじっくりと脚を溜める展開となった。最後の直線に入ってもまだ前は遠かったが、残り400mで馬群の外に出すと、末脚が爆発。一気に先団との差を詰め、残り100mで先頭に立つ。その直後でマークするように伸びてきたムトトが襲いかかるも、その追撃をクビ差しのいでトニービンが勝利した。
イタリア勢として27年ぶりの凱旋門賞馬となったトニービンは、その後ジャパンカップにも挑戦。ペイザバトラーの5着となり、そのまま日本で種牡馬生活を始めた。
種牡馬入り後は、初年度産駒からダービー馬ウイニングチケットやオークス馬ベガを輩出。その後も、ジャングルポケットやエアグルーヴなど活躍馬を次々と出し、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムとともに「種牡馬御三家」と呼ばれた。自身は東京競馬場で行われたジャパンカップで敗れたものの、産駒は東京競馬場でのレースにめっぽう強いのも特徴的であった。