【凱旋門賞名勝負5選 外国馬編】ダンシングブレーヴやトニービンなど!日本にゆかりのある世界的名馬たち
1920年に記念すべき第1回が行われ、既に100回以上の歴史を誇る凱旋門賞。近年は毎年のように日本調教馬が挑戦しているが、未だ欧州勢の高い壁を打ち破れてはいない。今回はその中から、歴史的名馬や日本に馴染みのある馬が勝利した、5つのレースをピックアップして紹介する。
①1986年(勝ち馬ダンシングブレーヴ)
まずひとつ目は、1986年の第65回凱旋門賞。この年の凱旋門賞には、日本から3頭目の出走となる、シリウスシンボリが挑戦していた。
そのシリウスシンボリを含めて、15頭中11頭がG1勝利経験のある馬という豪華メンバー。そんな中でも一際輝きを放ったのが、ダンシングブレーヴであった。
ダンシングブレーヴは、アメリカ生産のイギリス馬。デビュー4連勝で英2000ギニーを制すと、不利のあった英ダービーこそ僅差の2着に敗れるも、その後も連勝を重ね、8戦7勝の成績で凱旋門賞へと駒を進めた。
直前の単勝人気では、デビュー2戦目から5連勝で挑んできたベーリングと人気を分け合う形。並んだ1番人気に支持されて、発走を迎えた。
レースは、英ダービーで敗れた時と同じく後方の位置どり。ペースもスローな流れで進み、ダンシングブレーヴにとっては、暗雲が立ち込める。そのまま最後の直線に向かうと、直線はほぼ全馬が一団。横に広がっての大激戦となる。
中団追走から馬群の外に出したベーリングが残り200m辺りで先頭に並びかけ、抜け出しを図る。しかしそれも束の間、さらにその外となる、画面に映らない大外から異次元の末脚でまとめて差し切ったのがダンシングブレーヴ。最後は2着ベーリングに1馬身半の差をつけてみせた。勝ち時計の2分27秒7は当時のコースレコード。ラスト1ハロンは10秒8という、欧州の深い芝では考えられない切れ味であった。
ダンシングブレーヴはその後、生まれ故郷アメリカのBCターフで4着に敗れ、現役を引退。欧州で種牡馬となり、引退から5年が経った1991年に日本に輸入。キョウエイマーチやキングヘイロー、テイエムオーシャンといったG1馬を輩出した。
ちなみに、競走馬を数値化して格付けするインターナショナルクラシフィケーション(現ワールドベストレースホースランキング)では、この年のダンシングブレーヴに141ポンドが与えられた。30年以上経った今でも、これを超える馬は現れていない。まさに、歴代最強馬と言っても過言ではない名馬であった。