HOME » コラム » ランキング » 【騎手がGⅠ初勝利するまでの挑戦回数ランキング】涙の数だけ強くなれる!諦めなかった者が辿り着いた絶景 » ページ 2

競馬の世界で最高峰に位置づけられる「G1」。そのタイトルは騎手であれば一度は夢見る頂だろう。だが、その壁は高い。そもそも騎乗機会が限られ、さらに勝つには、運も馬の力も、技術も、すべてが噛み合わなければならない。そこで今回はG1初勝利までに最も多く挑戦した騎手たちトップ10 をランキング形式で紹介していく。[2/10ページ]

第9位 松山弘平

挑戦38回目・2017年皐月賞・アルアイン

2017年皐月賞でG1初制覇を果たした松山弘平騎手
2017年皐月賞でG1初制覇を果たした松山弘平騎手

 2009年の3月1日に小倉1レースで初騎乗初勝利を果たすと、その日のうちに早くも2勝目を挙げた松山弘平騎手。当時では福永祐一騎手(現:調教師)以来となる快挙を達成した。

 その後も2012年の中日新聞杯で、スマートギアに騎乗し重賞初制覇。翌2013年にはミヤジタイガで同期で一番乗りとなる日本ダービー騎乗も果たし、新進気鋭の若手ジョッキーとして注目を集めていた。

 しかし、その裏で重賞では2013年2月の小倉大賞典を最後に100連敗以上、G1ではヴィクトリアマイルで16着と敗れたのを皮切りに、G1では23戦連続で馬券圏外に敗れてしまう。

 この間、2015年のJBCスプリント(大井)でコーリンベリーに騎乗しG1級競走の制覇は果たしたが、JRAの重賞やG1では苦しい状況が続いていた。

 この2つの記録を止めたのがミッキーアイルである。2016年2月の阪急杯で3年ぶりの重賞勝利を飾ると、続く高松宮記念では着外記録にピリオドを打つ2着に好走した。

 これで何かを掴んだのか、松山騎手はこの年の秋のマイルチャンピオンシップでは18頭中14番人気のダノンシャークを4着に、続く朝日杯フューチュリティステークスでは18頭中12番人気のボンセルヴィーソを3着へ導く。

 翌2017年の毎日杯ではここまで短期免許で来日していた外国人騎手が騎乗していたアルアインの手綱を任され、テン乗りながら見事勝利。続く皐月賞でも背中を託された。

 その皐月賞では、アダムバローズとトラストが逃げ、1000m通過が59秒0と速いペースで進む。だが、毎日杯でも速いペースを番手から先行していたアルアインにとっては全く意に介さない展開だった。

 そして4コーナー、松山騎手は密集した馬群からクリンチャーとファンディーナの間にできたわずかな隙間を突く進路を取った。

 それは一歩間違えれば進路が無くなる危険性もあった選択だったが、怯まない勝負度胸を見せた松山騎手の心意気に応え、アルアインは脚を伸ばす。

 そしてG1初制覇のゴール坂へ。ここまで自身が挑戦した37回の経験を力に変えたような、そんな騎乗であった。

 次走のダービーは5着に終わり、これ以降松山騎手はラストランの有馬記念までアルアインの手綱を取ることはなかった。のちにこのダービーを「考えすぎて体がついていかなかった」と語った松山騎手。

 2025年現在、牝馬三冠ジョッキーとなり、リーディングTOP10の常連にも顔を並べるまでに成長を遂げた松山騎手。

 今後、彼がダービーを制する時は、ダービーというものを彼により意識させてくれたアルアインの仔と成し遂げてくれれば面白い。

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