HOME » コラム » レジェンドホース名鑑 » エアグルーヴ ~牝馬の時代を切り開き、多くの名馬を輩出した女帝~

エアグルーヴ ~牝馬の時代を切り開き、多くの名馬を輩出した女帝~

text by 沼崎英斗

エアグルーヴ(Air Groove)

牡馬が圧倒的に強かった時代に混合G1を制し、牝馬の時代を切り開いたエアグルーヴ。1997年天皇賞(秋)では、15頭の牡馬を相手に先頭でゴールを駆け抜け、歴史的勝利を挙げた。繁殖牝馬としても大きな影響を与えた彼女の功績は、今も輝きを放ち続けている。

Air Groove

プロフィール

性別 牝馬
トニービン
ダイナカール
生年月日 1993年4月6日
馬主 伊藤雄二
調教師 ラッキーフィールド
生産者 社台ファーム
通算成績 19戦9勝【9-5-3-2】
獲得賞金 8億2196万6000円
主な勝ち鞍 1996年 オークス
1997年 天皇賞(秋)
受賞歴 1997年 JRA賞年度代表馬
1997年 JRA賞最優秀4歳以上牝馬
産駒成績 産駒デビュー年:2002年
通算重賞勝利数:13勝
通算G1勝利数:3勝
代表産駒 アドマイヤグルーヴ(2003年、2004年 エリザベス女王杯)
ルーラーシップ(2012年 クイーンエリザベス2世カップ)

~牝馬の時代を切り開いた女帝~

 現代の基準に当てはめるとGⅠ2勝という成績は超一流とは言い難いのかもしれない。しかし20世紀は牡馬の時代であり、牝馬が混合GⅠを勝つことはまさしく至難の技であった。そんな時代で抜群の存在感を誇り、天皇賞(秋)を先頭で駆け抜けた女帝・エアグルーヴは今もなお語り草となっている。

 1993年、父は凱旋門賞馬トニービン、母はオークス馬ダイナカールという超良血の期待馬として誕生した。デビュー前から話題であった仔馬は順調に阪神3歳牝馬ステークスに駒を進める。

 レースは前半1000mが61.1秒というスローペースの展開で、直線で逃げたビワハイジに懸命に迫ったが、惜しくも2着におわる。

 明けて4歳になり、チューリップ賞から始動した。前走で敗れたビワハイジを5馬身差ちぎり、格の差を見せつける。その後の牝馬3冠が有力視されていたが、桜花賞の直前に熱発したため回避することになり、オークスへ直行する。

 同世代の牝馬ではナンバーワンという呼び声も高かったことから、アクシデント明けながら1番人気に支持された。最後の直線では早々に抜け出し、追いすがる他馬をねじ伏せる強さを見せつけた。この勝利により母娘二代オークス制覇という偉業の達成となった。

 圧倒的1番人気で挑んだ秋華賞であったが、レース中に骨折するなど不安要素が重なり10着と大敗を喫する。骨折の休養により、8ヶ月ぶりのレースとなったマーメイドステークスでは1.9倍の一番人気に応え勝利。続く札幌記念でも強豪相手に勝ちを収め、陣営は自信を持って天皇賞(秋)へ駒を進める。

 ライバルは前年の覇者であるバブルガムフェローだ。単勝オッズはバブルガムフェローが1.5倍の1番人気に支持されており、エアグルーヴは4.0倍の2番人気に甘んじた。

 レースでは先に仕掛けたバブルガムフェローと併せるような形で叩き合いに持ち込み、クビ差しのいで勝利する。実況通り、「15頭の牡馬を1頭の牝馬が蹴散らす」という歴史的勝利をもたらした。

 その勢いのまま、オークスと同じ舞台であるジャパンカップに向かう。先に抜け出し独走態勢かと思われたが、内から外国馬のピルサドスキーの強襲にあいクビ差で敗れた。続く有馬記念では2番人気に押されるが、3着にとどまった。

 牝馬による17年ぶりの天皇賞(秋)で勝利したことや、ジャパンカップ2着、有馬記念3着といった功績が評価され、1997年の年度代表馬に輝いた。

 6歳となったエアグルーヴは産経大阪杯へ向かう。一世代下のオークス馬であるメジロドーベルとの対決となったが、持ったまま勝ち切り、牝馬最強を証明する。続く鳴尾記念では道悪が響いたのか、7番人気の伏兵に勝利を許し、宝塚記念では本格化したサイレンススズカの3着に敗れた。

 夏の札幌記念では、牝馬でありながらトップハンデの58キロという斤量を背負ったものの、3馬身差で勝利して連覇を達成した。秋は相手関係や鞍上の問題により、前年勝利した天皇賞(秋)を使わず、エリザベス女王杯を選択した。

 単勝1.4倍の1番人気に推されるが、このレースを目標にしたメジロドーベルの3着に敗れるという波乱が起きた。続くジャパンカップでは2着、有馬記念は5着となり繁殖入りすることになった。

 繁殖生活はノーザンファームで過ごし、アドマイヤグルーヴ、ルーラーシップ、フォゲッタブル、グルヴェイグといった重賞馬を輩出した。またアドマイヤグルーヴの仔であるドゥラメンテはダービーを制覇している。繁殖牝馬としても素晴らしい成績をあげ、20歳でこの世を去った。

 現役時代も引退後も日本競馬に多大な影響を与えたエアグルーヴ。牝馬が活躍する時代を切り開いたパイオニアとして、女帝には敬意を払わなくてはならない。

※本文中の馬齢は当時の表記です。

(文●沼崎英斗)

1 2