②メイショウボーラー
次に紹介するのは、メイショウボーラー。父はジャックルマロワ賞を制したタイキシャトル、母は現役時代にアメリカで走っていたナイスレイズという血統。
そのメイショウボーラーは、芝1000mでデビューして、徐々に距離を延ばしながら4連勝。大本命として朝日杯FSに出走するも、コスモサンビームにクビ差敗れての2着。惜しくも2歳王者には手が届かなかった。
その後、3歳クラシックには皐月賞のみ出走。そこでも3着になるなど、世代限定戦なら2000mはギリギリこなす印象であったが、3歳時は1200m〜2000mまでさまざまな距離を試すも勝ち星は挙げられず。
気付けば1年以上勝利から遠ざかり、世間からは早熟馬のレッテルを貼られるようになって迎えた、4歳シーズン初戦。
ここで陣営は、初ダートとなるガーネットSを選択。このレースを3馬身差で快勝すると、続く根岸Sでは逃げて7馬身差の圧勝劇。早熟馬のレッテルからの手のひら返しで、ダート界の新星として、フェブラリーステークスに出走することとなった。
ライバルは、前年覇者の6歳馬アドマイヤドン。王者vs挑戦者という構図の中で行われた一戦は、アドマイヤドンが痛恨の大出遅れ。それに対してスタートダッシュを決めたメイショウボーラーは、前半の800mを45秒8という芝並みのペースで通過。
不良馬場を考えてもかなりのハイペースで後続を引き離していき、そのアドバンテージを生かしたメイショウボーラーが見事に逃げ切り勝ちを収めた。
JRAダートG1での逃げ切り勝利は史上初の快挙で、勝ち時計の1分34秒7はコースレコード。まさに圧倒的なスピードを見せつけた勝利であった。
その後は6歳まで現役を続けたが、勝利を挙げることはできずに引退。種牡馬としては、ニシケンモノノフやラインミーティアなど、芝・ダート問わずにスピード豊かな産駒を輩出した。