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【日テレ盃名勝負5選】フリオーソやナイキアディライトなど“地方の雄”も活躍

text by 中西友馬

日本テレビ盃は1954年にNTV賞として創設された。1998年に交流重賞として生まれ変わり、施行距離も現在の船橋ダート1800mへと変更になった。翌年の1999年からは現在の名称となり、2002年以降はJBCクラシックのステップレースとして、G2格付けへと格上げされた。そんな日本テレビ盃の歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。

Makiba Sniper
第49回日本テレビ盃を制したときのマキバスナイパー

①2002年(勝ち馬マキバスナイパー)

 最初に取り上げるのは、G2格付けへの格上げ初年度となった、2002年の日本テレビ盃。

 この年の1番人気は、前年のフェブラリーS覇者ノボトゥルー。アグネスデジタルの4着に敗れこそしたが、前年の日本テレビ盃でも1番人気に支持されていた。フェブラリーS以来、勝利からは1年7ヶ月遠ざかっていたが、武豊騎手との初コンビにも期待が集まり、2年連続の1番人気となっていた。

2番人気はレイズスズラン。障害転向から平地へ戻ってきて、交流重賞3勝を挙げた異色の経歴の持ち主。前走のさきたま杯を勝利し、8歳でもまったく衰えは見られなかった。

 3番人気は地元船橋のマキバスナイパー。前年の帝王賞を勝利し、JBCクラシックでも2着。地方所属馬ながら、JRA勢を相手に交流G1での活躍が目立っていた。

 レースは、キングリファールがハナを切り、その直後にマキバスナイパーがつける展開。ノボトゥルーとレイズスズランは中団から進める形となった。勝負どころとなったのは、3角手前。キングリファールのペースアップにマキバスナイパーがついていき、その後ろの好位勢はジリジリと離され始める。中団にいたレイズスズランはするすると好位まで浮上するが、ノボトゥルーはその動きについていけずに中団馬群のまま。前は2頭が後続を離して4角を回り、最後の直線へと向かう。

 直線に入っても2頭による一騎打ちが続いていたが、残り200mを切ってマキバスナイパーが前に出る。その後ろからは3番手に上がったレイズスズランが、前の2頭との差を詰めてくる。しかし、最後はその猛追を凌いだマキバスナイパーが勝利。長く脚を使ったレイズスズランが1馬身差の2着まで追い上げ、そこから1馬身半離れた3着には逃げ粘ったキングリファールが入った。

 勝ったマキバスナイパーは、交流重賞3勝目。その後も積極的に交流重賞に挑戦し、JRA勢相手に一歩も引かないレースを演じた。晩年は高崎へと移籍し、9歳シーズンまで息の長い活躍を見せた。

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