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1998年宝塚記念を制したサイレンススズカ
1998年宝塚記念を制したサイレンススズカ

③サイレンススズカ

~繊細すぎた音速の貴公子~

 ミホノブルボンと同じ逃げ馬のサイレンススズカもまた、坂路で鍛え抜かれた名馬である。4歳(現表記で3歳)の春にダービー出走を果たしたものの、9着に敗退。サイレンススズカには精神面の脆さが常に付きまとった。

 そんなサイレンススズカの素質を見抜いていた一人が、現調教師の上村洋行騎手(当時)である。デビュー戦から神戸新聞杯まで6戦すべてで手綱を取り、このコンビで3勝を挙げている。上村氏は、騎手時代に運営していた自身の公式ブログ『うえちんのひとりごと』にサイレンススズカのことをこう記していた。

「第一印象は、馬体は少し小さいけどもの凄く柔らかくて、ゴムマリの塊というか、もの凄くバネの効いた走りをする馬だなぁっていう印象。調教を何日かしたところで、初めて坂路で軽く速いところをやった。55~56秒位やったかなぁ?その時初めてこの馬の本当の凄さを知った。スピードを上げるにつれフォームが沈んでゆく。そして『いつでも弾けるぞ』と言わんばかりに、軽々と坂を駆け上がりゴールした」

―― うえちんのひとりごと(2009年11月9日【サイレンススズカ】 NO.1)より

 そのスピード能力を身をもって知った上村氏は「俺もそれまで体験した事のない凄い感覚に、正直、震えたというより全身がシビれた」とブログに続けた。

 ただその一方で、「ちょっとこの馬、繊細過ぎるなぁ」とも感じていたという。さらに「ガラスの芸術品を扱う様に」、日々の調教でサイレンススズカに向き合っていた。しかし、デビューから1年9か月後の1998年11月1日、“音速の貴公子”は武豊騎手を背に、悲運の最期を迎えることとなった。

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