③2009年安田記念(ウオッカ)
~最後の直線で前が壁!万事休すからの豪脚発揮~
戦後唯一の牝馬による日本ダービー制覇。それを成し遂げたのは、女傑ウオッカである。桜花賞でダイワスカーレットの2着に敗れると、オークスには向かわずダービーへと駒を進めた。そこで四位洋文騎手を背に64年ぶりの快挙達成。競馬史に燦燦と輝く末脚でもあった。
その2年後、5歳を迎えたウオッカが年明け4戦目に出走したのが第59回安田記念だった。その時すでに5つのG1タイトルを手中に収めていたウオッカ。その鞍上にいたのは、当時40歳の武豊騎手である。このコンビは3週前のヴィクトリアマイルにも出走し、後続を寄せ付けない圧勝劇を見せていた。得意の東京で同じダービー馬ディープスカイも出走していたが、単勝オッズ1.8倍の断然人気に推されていたのがウオッカだった。
2枠3番から好スタートを決めたウオッカと武騎手は、外枠から先行する5~6頭を右に見ながら中団やや前目の7番手を確保。ピタリと折り合い、あとはいつも通りの末脚を繰り出すだけと思われた。4コーナー手前から徐々に位置を押し上げ、5番手で最後の直線へ。その時点で先行勢を射程圏に捉え、あとは抜け出すスペースを見つけるだけだった。
ところが、先行馬の4頭がズラッと壁になり、肝心のスペースがなかなか開かない。立ちはだかったのは、道中でウオッカをマークするように直後に付けていた四位騎手鞍上のディープスカイだった。
直線を向いてうまく内に潜り込んだディープスカイは、馬群を割って先に抜け出しを図る。この時、武騎手はブレーキをかけるように何度も手綱を引きながらスペースを探していたが、一向に見つかる気配がなかった。
残り300mを切った辺りで、ディープスカイは堂々と先頭に躍り出て、もがくウオッカに4馬身ほどの差を付けていた。外から差し馬も次々台頭。ウオッカは万事休すかと思われた。しかし、ヴィクトリーロードが開いたのは残り200mを切ったところ。サイトウィナーとスーパーホーネットの間に生じたわずかなスペースをこじ開けると、あとはディープスカイを捉えるだけだった。
後輩ダービー馬をあっという間に交わし去ると、最後は武騎手が手綱を緩める余裕も見せて、3/4馬身差で安田記念を連覇。レース後、武騎手は「あの状況でも勝ってくれるんですから強いですね。馬を褒めて下さい」と最大級の賛辞を贈り、女傑をねぎらった。