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“魂が震える”ホースマンの夢を叶えた5人の男たち【悲願の日本ダービー初制覇・調教師編】

text by 小早川涼風

競馬に携わる者であれば、おそらく誰もが夢見る大舞台である日本ダービー。それは騎手や馬主、生産者はもちろん、競走馬を育成する調教師も同じだろう。その中には、期待されながらもなかなか勝利を挙げられず、悔しい想いをしながら悲願を叶えたトレーナーも多い。今回は、悲願のダービー制覇を叶えた5名の調教師を紹介する。

日本ダービー初制覇の大久保正陽調教師(写真中央)
日本ダービー初制覇の大久保正陽調教師(写真中央)

①大久保正陽(1994年 ナリタブライアン)

生年月日:1935年8月23日
所属:栗東
代表管理馬:ナリタタイシン、エリモジョージ、メジロパーマー
G1級勝利:10勝

 1973年に栗東で開業した大久保正陽師が、管理馬をダービーに初めて出走させたのはその翌年。エリモマーチスという馬に弟の大久保光康騎手を乗せて挑んだ夢舞台は、23頭中21着と言う結果に終わった。

 その後、1991年のイイデセゾン、1993年のナリタタイシンが3着に入線。特にナリタタイシンはビワハヤヒデ、ウイニングチケットとともに「三強」と評された一頭で、あともう少しでダービーのタイトルへ手が届きそうなところまで来ていた。その年に大久保師のもとへ入厩してきたのが、ナリタブライアンである。

 兄にダービーで2着となったビワハヤヒデがいることで、入厩当初から注目を集めていたナリタブライアン。しかし、彼はデビュー戦から常にぶっちぎりの強さを見せていたわけではない。3歳時のレースでは幼さを残す面を見せ、トレセンでは緊張を緩めずにテンションが高いままという精神面の課題を残していた。

 これを少しでも解消させるために、大久保師は「短い間隔でレースを使い続け、体を疲れさせることで緊張をほぐす」という作戦を取る。この思惑に応えるかのようにナリタブライアンはレースの度にみるみる成長を遂げて行き、気づけば皐月賞の時点で評価は最上位に。レース当日、デビュー以降1月に1回は出走していた同馬の疲労を不安視する声もあったが、終わってみればコースレコードで快勝。続くダービーはこれまでの経験で得た力を遺憾なく発揮するかのような5馬身差の圧勝劇だった。

 レースの後、ナリタブライアンは400mから200mまでの区間を当時のダービーでは最も速い11.2秒というラップタイムで駆け抜けていたにもかかわらず、息ひとつ切らさないで戻ってきたという。それは開業20年目、9頭目の挑戦でダービートレーナーとなった大久保正陽師が大事にしてきた「レースの経験が馬を強くする」という信念を体現したダービー馬のたたずまいであったのかもしれない。

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