“一世一代”最後の晴れ舞台【ダービー優勝が国内ラストランとなった馬5選】
全てのホースマンの夢を乗せて行われる、日本ダービー(東京優駿)。競走馬にとっても、一生で一度しかその舞台に立てない、まさに晴れ舞台である。
そこで今回は、そのダービーで一世一代の走りを見せた結果、ダービーが(国内)ラストランとなってしまった勝ち馬に注目。5頭をピックアップし、順に紹介していく。
①1990年(勝ち馬アイネスフウジン)
最初に取り上げるのは、1990年のダービー。人気を集めたのは、皐月賞の上位3頭であった。
1番人気(単勝オッズ3.5倍)は、皐月賞は3着止まりながら、上がり最速の脚で追い込んできたメジロライアン。僅差の2番人気(単勝オッズ3.9倍)で皐月賞馬ハクタイセイが続き、皐月賞2着のアイネスフウジンが3番人気(単勝オッズ5.3倍)となっていた。
レースは、アイネスフウジンがハナを切り、ハクタイセイは皐月賞よりも前めのポジションを取って2番手の外を追走。メジロライアンは人気3頭の中では一番後ろとなる、中団馬群から進めていた。逃げるアイネスフウジンは向正面では馬場の悪い内をあけて走り、後続を3〜4馬身引き離す逃げを打つ。前半1000mを59秒8のミドルペースで通過すると3〜4角で後続を引きつけ、4角では最内に進路を取って最後の直線へと向かう。
直線に入ると、追ってきたハクタイセイを突き離し、離れた外に持ち出して伸びてきたメジロライアンの追撃も振り切り、アイネスフウジンが逃げ切り勝ち。2着にメジロライアンが入り、連れて伸びてきたホワイトストーンが1馬身半差の3着。積極的にアイネスフウジンを負かしにいった皐月賞馬ハクタイセイは、5着に敗れた。
勝ったアイネスフウジンは、朝日杯3歳S(現朝日杯FS)以来となるG1・2勝目。世界レコードを記録した19万6517人の「ナカノコール」に迎えられてアイネスフウジンは退場したが、馬房に戻ると左前脚の腫れが判明。そして、それはのちに屈腱炎と診断された。
復帰に向けて陣営による懸命の治療が続けられたが、アイネスフウジンが再びターフに姿を現すことはなく、現役引退が発表された。
カブラヤオー以来、15年ぶりとなるダービーでの逃げ切り勝利を収めたアイネスフウジン。自らがスタートからゴールまでラップを刻んだ 2分25秒3は、サクラチヨノオーの記録を1秒更新するレースレコードであった。
結果的にラストランとなったアイネスフウジンの魂のレースは、東京競馬場に詰めかけた19万人超の競馬ファンを熱狂の渦に巻き込む走りとなった。