
④2011年ヴィクトワールピサ(1着)
創設当初からナド・アルシバ競馬場で施行されてきたドバイワールドカップは、2010年からメイダン競馬場へと舞台を移した。しかしそれ以上に大きく変わったのは、ダート2000mからオールウェザー2000mへと変更されたことであった。
オールウェザーとは、いわゆる全天候型の馬場で、砂に細かいゴムなどを混ぜ込んだコースのことを言う。調教でも使われることのある、ポリトラックに似たような馬場となっている。
この変更によって、出走する馬たちもガラリと一変。変更初年度に日本から遠征したのは、秋華賞馬レッドディザイア。走破時計もダートより芝に近いため、芝馬のほうが活躍しやすいと言われていたためであった。
そしてオールウェザー2年目となる、翌2011年。ついに歴史の扉が開かれる。この年、日本馬は3頭が参戦。芝で活躍していたヴィクトワールピサとブエナビスタ、もう1頭はダートで活躍していたトランセンドという布陣で挑んだ。
レースは、日本のダートレースと同じようにトランセンドがハナを切り、ブエナビスタは後方2番手。ヴィクトワールピサは最後方から進めていた。レースが動いたのは向正面。最後方にいたヴィクトワールピサがスーッと上がっていき、トランセンドの直後まで浮上。
そのまま4角を回って直線に入ると、逃げるトランセンドに並びかけるヴィクトワールピサ。早めに来られて逃げ馬にとっては苦しいはずだが、日本のレース同様にトランセンドが二枚腰を見せて抵抗。最後までしぶとく粘るトランセンドだったが、最後はねじ伏せるように前に出たヴィクトワールピサが勝利。半馬身差の2着にトランセンドが続き、日本馬のワンツー決着。ブエナビスタは伸びを欠き、8着となった。
初挑戦から15年、前年までに延べ18頭の日本馬が高い壁に阻まれてきたが、ついにヴィクトワールピサが勝利を挙げ、さらにはトランセンドとのワンツー決着。当時はまだJRA所属ではなかったミルコ・デムーロ騎手の大きなガッツポーズが、非常に印象的であった。
このレースが行われたのは、2011年3月26日。未曾有の大災害と言われた東日本大震災から、15日後のことであった。レース後のインタビューでデムーロ騎手は、「日本は第二の故郷。この勝利を日本の皆さまに捧げます」と語った。
日本国内が大混乱の中、競馬に使うために海外へと渡航する形となった陣営。本当にいいのかという葛藤や、批判の声もなかったとは言えないはずだ。そんな中でもドバイの地で見せたチームジャパンの活躍は、被災地に大きな勇気を与えたに違いない。