
②2001年トゥザヴィクトリー(2着)
ホクトベガの悲劇から4年が経った2001年、ついに天才ジョッキー・武豊がドバイミーティングに初参戦を果たした。そして、その舞台でさっそく存在感を示す。
ドバイワールドカップの前座レースとして行われたドバイシーマクラシックでは、武豊がステイゴールドに騎乗した。ステイゴールドは、メインレースに出走するトゥザヴィクトリーと同じ池江泰郎厩舎の所属馬で、帯同馬としての役割を担っていると見られていた。しかし、その評価を覆すような走りを見せ、ブックメーカーの低評価を跳ね返して勝利を挙げた。日本馬によるドバイでの初勝利となり、大きな意味を持つ結果となった。
当時、ドバイシーマクラシックはG2の格付けだったものの、日本競馬にとって歴史的な一勝だった。そして、この快進撃はメインレースのドバイワールドカップにもつながる。
武豊が騎乗したトゥザヴィクトリーは、スタートから果敢に先頭を奪い、レースを引っ張った。最後の直線では、日本でも種牡馬となったキャプテンスティーヴに交わされたものの、粘り強く走り抜いて2着に入った。同じく出走したレギュラーメンバーは9着に終わったが、トゥザヴィクトリーの好走は日本競馬にとって大きな躍進だった。
トゥザヴィクトリーはもともと芝で活躍し、桜花賞3着、オークス2着の実績を持つ馬だった。しかし、初のダート挑戦となった前走のフェブラリーSで3着に入ると、続くダート2戦目のドバイワールドカップで世界の強豪相手に2着という結果を残した。
それまでの日本馬によるドバイワールドカップ挑戦は、競走中止となったホクトベガを除くと、最高で6着だった。しかも勝ち馬とは大差がついていたため、トゥザヴィクトリーがわずか3馬身差の2着に入ったことは、まさに快挙だった。
この結果により、日本馬がドバイワールドカップを勝つ可能性が現実味を帯び、以後のドバイ挑戦の流れがさらに加速していくことになる。