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Mejiro McQueen
第28回京都大賞典を制したときのメジロマックイーン

3位 メジロマックイーン(10億1,465万)

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性別:牡馬
戦績:21戦12勝 [12-6-1-2]
主な勝ち鞍:1990年菊花賞(G1)、1991,1992年天皇賞・春(G1)、1993年宝塚記念(G1)
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 オグリキャップの引退と入れ替わるように活躍したのが、名門オーナーブリーダー・メジロ牧場の繁殖預託先で1987年に誕生したメジロマックイーンである。

 その名は、往年のハリウッドスタースティーブ・マックイーンから拝借された。父は同じ芦毛の天皇賞馬メジロティターン、母も長距離血統を持つメジロオーロラ。牧場の信念を受け継ぐように、メジロマックイーンはステイヤーとして順調に成長を遂げた。

 1990年2月のデビュー後、安定した好走を続け素質の片鱗を見せていたが、G1初制覇は3歳秋の菊花賞。翌年には天皇賞(春)を制し、父メジロティターン、祖父メジロアサマに続く親子三代の芦毛馬による天皇賞制覇という快挙を成し遂げる。ここまでで約4億5000万円を獲得し、4歳シーズンを終えた。

 翌年も阪神大賞典をステップに天皇賞(春)へ出走し、見事に連覇を達成した。5歳はこの2レースのみの出走となったが、着実に賞金を上乗せした。

 しかし、6歳となった1993年、突如として幕引きのときを迎える。秋の飛躍を誓い京都大賞典快勝した矢先、左前脚の繋靭帯炎を発症して無念の現役引退となった。

 メジロマックイーンのすごさは、天皇賞(春)3連覇の大偉業を目指して出走した93年こそ“黒い刺客”ライスシャワーの2着に敗れてしまうが、天皇賞だけでも3億2500万円を稼いだことはステイヤーらしい実績といえる。

 種牡馬としても活躍したが、とくに母の父(ブルードメアサイアー)としての活躍が目覚ましかった。父ステイゴールド、母の父メジロマックイーンという「黄金配合」から、三冠馬オルフェーヴルやその全兄ドリームジャーニー、さらに個性派のゴールドシップなど、多くの名馬を輩出した。

 メジロマックイーンは、史上初となった生涯獲得賞金10億円突破の偉業とともに、血統表にその名を残し続けていくことになるだろう。

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