80年代のバンブーメモリーから1400mの鬼・ダイアトニックまで【スワンS名勝負5選】
1958年に京都競馬場で創設されたスワンステークスは、施行時期や距離の変更を経て、1984年からは10月に行われる芝1400mの競走に定着した。これ以降、11月に行われるマイルチャンピオンシップの前哨戦として重要な位置づけとなり、2014年からは1着馬に優先出走権が与えられることになった。今回は、そんなスワンステークスの歴史から、注目すべき5つのレースを紹介する。
①1989年(勝ち馬バンブーメモリー)
最初に取り上げるのは、1400mとなって4年目となる1989年のスワンステークス。主役は、同年の安田記念覇者バンブーメモリーであった。
バンブーメモリーは、3歳(現2歳)11月のデビューから、15戦続けてダート戦ばかりを使われていた。ダートでは3勝を挙げ、1400万下(現3勝クラス)まで上がってきたものの、そこで6戦の足踏みが続く。
そんなバンブーメモリーの転機となったのが、5歳(現4歳)4月の道頓堀ステークス。デビュー以来初となる芝のレースに出走すると、今までの足踏みが嘘のように、5馬身差で圧勝した。OP入りを果たすと、OP特別のシルクロードステークスでも僅差の3着に食い込んだ。
昇級初戦でOPクラスにもメドをつけたバンブーメモリーであったが、なんと連闘策でG1の安田記念へと出走した。OP未勝利の上に、重賞出走経験すらなかったが、10番人気の低評価を覆して勝利。初芝挑戦から1ヶ月強で、一気にG1馬にまで上り詰めた。
その後、宝塚記念5着や高松宮杯2着など、中距離路線でも一線級と互角の戦いを見せたバンブーメモリーは、秋の目標をマイルCSに設定。その前哨戦として、スワンステークスへと出走することとなった。
バンブーメモリーは、ただ1頭59キロの斤量を背負いながらも単勝1番人気。僅差の2番人気には、前出安田記念で1番人気4着だったホクトヘリオスが続き、同年の阪急杯覇者ホリノライデンが3番人気。直前のセントウルステークスを制した4番人気のホウエイソブリンまでが、単勝オッズ10倍を切っていた。
レースは、ダンデイアポロが好ダッシュからハナを切るかに思われたが、1枠の2頭やナルシスノワールも内めの枠を利して前へと上がっていき、先行争いは少し激しくなる。その先行争いに大外枠からホリノライデンも加わり、ホウエイソブリンは中団からの競馬。
人気を分けた2頭は、ともに後方で脚をためる展開となった。激しい先行争いから、3角手前で抜け出したのはホリノライデン。先頭をキープしたまま4角を回り、最後の直線へと向かう。
直線に入るとすぐ、サンキンハヤテがホリノライデンを交わして先頭に立つも、すでにその外へと迫っていたのがバンブーメモリー。59キロを感じさせない脚で一気に抜け出すと、あとは後続を突き放すのみ。
一方のサンキンハヤテは苦しくなり、2着争いも後方待機勢による激戦となる。それを尻目に、バンブーメモリーは3馬身半差の快勝した。混戦の2着争いはイーグルシャトーが制し、ハナ差の3着にホクトヘリオスが入った。
勝ったバンブーメモリーは、続くマイルCSでオグリキャップと歴史に残る死闘の末、ハナ差敗れての2着。翌年のマイルCSでも2着と、なかなか2つ目のG1タイトルに手が届かなかったが、その直後のスプリンターズステークスでも勝利を挙げた。その結果、2年連続でJRA賞最優秀スプリンターにも選ばれたのであった。