最後の一冠で明暗…菊花賞で三冠に挑んだ名馬(1)坂路調教が生んだ無敗の二冠馬! 3000mで待ち受けた結末とは?

1941年にセントライトが史上初の三冠馬に輝いて以来、2026年のロブチェンまでに25頭の春二冠馬が誕生した。しかし、そのすべてが菊花賞の舞台に立てたわけではない。故障などによって出走が叶わず、三冠への挑戦を断念した馬もいる。それほど三冠への道は険しい。今回は、春の二冠を制し、菊花賞で三冠達成に挑んだ馬たちを振り返る。1頭目。
①ミホノブルボン

菊花賞といえば、芝3000mで争われる、言わずと知れたマラソンレースである。3歳馬による世代限定戦で、基本的に全馬が未知の距離。多少は距離適性をオーバーしていても、適性を能力が上回るケースはある。
しかし、ミホノブルボンは事情が違った。陣営の見立てでは、本来の距離適性は短距離。実際に芝1000mでデビューしており、距離適性を多少オーバーしているどころの話ではなかった。
むしろ皐月賞とダービーを勝って菊花賞まで駒を進めてきたこと自体が奇跡のようなものである。
その快進撃を支えたのが、当時はまだ歴史の浅かった栗東トレーニング・センターの坂路コースだ。
現代では一般的になった坂路調教だが、ミホノブルボンはその坂路を1日に何本も駆け上がるハードトレーニングで心肺機能を強化。スピードの持続力を磨き、春二冠を獲得した。
そして、デビューから7戦7勝で迎えた菊花賞。シンボリルドルフ以来、8年ぶり5頭目の三冠馬誕生の期待がかかる中、ミホノブルボンは単勝1.5倍の圧倒的1番人気に支持された。
春二冠を逃げ切ってきたミホノブルボンだったが、菊花賞では好スタートを切ったキョウエイボーガンがハナを主張。主導権争いで競り合うことはせず、控えて2番手からの競馬となった。
これまでとは違う展開ながら、4コーナーでは先頭へ。鍛え抜いた心肺機能を武器に押し切ろうとしたが、最後の直線でライスシャワーの強襲を止められず、1馬身1/4差の2着に敗れた。
デビューからの連勝は7でストップし、史上5頭目の三冠馬誕生はならなかった。それでも相手のテリトリーともいえる3000mで、最後まで必死の抵抗を見せる姿は、多くの競馬ファンの胸を打つものがあった。
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【著者プロフィール:中西友馬】1993(平成5)年6月18日、神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後、競馬新聞社に入社し、約7年間専門紙トラックマンとして美浦に勤務。テレビやラジオでのパドック解説など、メディア出演も行っていた。2024年よりフリーライターとしての活動を始め、現在は主に、株式会社カンゼンが運営する競馬情報サイト『競馬チャンネル』内の記事を執筆している。
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