【武豊の“劇場型”G1制覇5選】(1)初戴冠の菊花賞から5ヶ月。絶望的な出遅れはわざと…?
1987年のデビューから38年。今年3月に56歳となった競馬界のレジェンド、武豊騎手はいまなお着実に勝ち鞍を重ねている。これまでJRAで挙げたG1勝利は通算83勝に達する(6/8現在)。どの美酒も味わい深かったに違いないが、中にはハラハラドキドキのG1制覇も少なくなかった。そこで武騎手のJRA・G1全83勝の中から“劇場型”と呼ぶにふさわしいレースを独断と偏見で5つピックアップした。時系列で紹介していこう。今回は1つ目。
①1989年桜花賞(シャダイカグラ)
~絶対不利の大外枠から出遅れ!レース後に飛び交った憶測~
当時3年目の若武者だった武騎手は、前年の菊花賞をスーパークリークとのコンビで制し、自身初のG1タイトルを手中に収めたばかり。その5か月後に行われたのが、第49回桜花賞である。
菊花賞後の武騎手はいまひとつリズムに乗れていなかった。1番人気のシヨノロマンと臨んだエリザベス女王杯をハナ差の2着に惜敗すると、年末の有馬記念はスーパークリークで3位に入線するも、最後の直線で他馬の進路を妨害したとして失格となっていた。それ以来のG1騎乗となった桜花賞で、さらなる試練が武騎手を襲う。当時の阪神芝1600mは外枠が圧倒的に不利なコース形態だったが、コンビを組むシャダイカグラが引き当てたのは大外18番枠。それまで逃げ先行で7戦5勝、2着2回の好成績を残していた同馬には厳しすぎる枠順だった。
競馬の神様はそんなシャダイカグラにもう一つの試練を与えた。1番人気シャダイカグラの出遅れである。それまで全レースで4角2番手以内の位置取りで競馬をしていた女王候補の惨敗を誰もが覚悟しただろう。
ところが、20歳になったばかりの武騎手は落ち着いていた。出遅れたことで距離ロスの発生する外々を回らずに済んだのだ。先行集団が“魔の桜花賞ペース”を演出する中、馬群に突っ込んだ武騎手は3コーナーで10番手、4コーナーでは6番手にまで押し上げていた。
最後の直線で好位に付けていた馬たちが次々と失速していく中、必死の抵抗を見せたのが4コーナーを2番手で回ったタニノターゲットと同3番手のホクトビーナス。残り200mのハロン棒を過ぎて先頭に躍り出たのはホクトビーナスだった。鞍上・柴田善臣騎手の左ムチにギアを入れ直すホクトビーナス、そしてその3馬身後方からこれまた左ムチを振るい、追い詰めるシャダイカグラ。残り100m地点までその差はほとんど詰まらなかったが、最後の最後、ゴール寸前でアタマ差だけ前に出たのがシャダイカグラだった。
レース後、鮮やかな差し切り勝ちを収めた武騎手には「わざと出遅れたのでは」という憶測まで飛び交ったという。5馬身差の圧勝劇を演じた菊花賞から5か月。武騎手による“劇場型”G1制覇の処女作が生まれたのが89年の桜花賞だった。
【了】
(文●中川大河)
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