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とんびが鷹を生んだ?無冠の父から生まれたGⅠ馬(1)突然の奇跡…血統の常識を超えた競馬のロマン

text by 中西友馬

ブラッドスポーツ、そう呼ばれるほど競馬の世界で血統は重要だ。勝てない血が淘汰され、勝てる血が残っていく。だが、時として常識を覆す例外も現れる。G1を勝てなかった父から、突然、類まれな才能を持つ名馬が生まれるのだ。まさに「とんびが鷹を生む」。今回は、無冠の父から生まれ、G1を制した5頭の名馬を紹介する。今回は1頭目。

①ヤエノムテキ(父ヤマニンスキー)

1990年天皇賞(秋)を制した時のヤエノムテキ
1990年天皇賞(秋)を制した時のヤエノムテキ

 最初に紹介するのは、ヤエノムテキ。その父はヤマニンスキーで、現役時代は芝1400m〜2000mで5勝を挙げるも、オープンクラスでは勝利を挙げることができず。

 田原成貴騎手や河内洋騎手などが乗って勝利しており、地方競馬騎手招待というレースでは、笠松時代の安藤勝己騎手も騎乗して勝利を収めている。

 能力の片鱗を見せていたヤマニンスキーだったが、度重なる脚部不安により現役を引退。現役引退後は、種牡馬入りを果たした。

 ニジンスキーの産駒であるヤマニンスキーは、同じニジンスキー産駒のマルゼンスキーの種牡馬としての成功から、競走成績に関わらず種牡馬入りすることが決まっていた。

 種牡馬入り当初はマルゼンスキーの代替種牡馬という印象であったが、そんな中で誕生したのが、ヤマニンスキー第3世代のヤエノムテキであった。

 条件戦5勝のヤマニンスキーを父に持ち、現役時代3戦0勝オール7着の母ツルミスターから誕生したヤエノムテキは、4歳(現3歳)2月にダート戦でデビューを果たすと、なんとそこから2ヶ月経たないうちに挑んだ皐月賞を、9番人気で制覇。

 その後、古馬となってからも鳴尾記念や大阪杯などの重賞を勝利。6歳(現5歳)の春からは岡部幸雄騎手とコンビを組み、同年の天皇賞(秋)では、メジロアルダンとのアタマ差の接戦を制して2つ目のG1タイトルを獲得。

 このレースには、オグリキャップも1番人気で出走しており、6着に下しての勝利であった。

 このヤエノムテキの活躍から、その父ヤマニンスキーの種牡馬としての需要はさらに高まり、もう誰もマルゼンスキーの代替種牡馬とは言わなくなっていった。

【了】
(文●中西友馬)

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