無謀か、それとも希望か…日本ダービーに挑戦した牝馬たち(2)衝撃のシナリオ…「運命の仔」が実現した奇跡
ダービーの出走条件は「3歳牡・牝、未出走、未勝利馬除く」。優秀な種牡馬選定という命題のため、セン馬は出走できないが、その血を後世に残せる牝馬には門戸が開かれている。だが、グレード制導入後の1984年以降、ダービーに出走した牝馬は5頭のみである。今回は、生涯一度の舞台にダービーを選んだ牝馬の物語を振り返る。今回は2頭目。
②2007年 ウオッカ
父:タニノギムレット
母:タニノシスター
生年月日:2004年4月4日
毛色:鹿毛
調教師:角居勝彦(栗東)
かつて名門とうたわれたカントリー牧場は拡大路線を突き進んだ結果、以前より成績が下降していた。そこで事業計画を見直す改革に着手。その結果、牧場史上3頭となるダービー馬タニノギムレットが生まれた。その頃、牧場にはタニノシスターという繁殖牝馬がいた。こちらも名門トウショウ牧場(旧藤正牧場)の血を受け継ぎ、遡ると名牝シラオキに行き着く奥深い血統だった。待望のダービー馬と名牝系の血による交配はまるで必然かのようであり、ウオッカは生まれるべくして生まれた「運命の仔」かもしれない。
栗東の角居勝彦厩舎に預けられたウオッカは3戦目で阪神ジュベナイルフィリーズを制し、チューリップ賞では終生のライバルであるダイワスカーレットを差し切り、1番人気で桜花賞を迎える。だが、そのチューリップ賞でダイワスカーレットの鞍上安藤勝己騎手は、ウオッカの末脚を測り、間合いをつかんでいた。
本番では引っかかるアストンマーチャンを利用し、巧みに控え、背後のウオッカが並びかける絶妙なタイミングで仕掛け、最後は突き放してみせた。上がり3ハロン同タイム。安藤勝己騎手のヘッドワークが光った。オークスで桜花賞の借りを返す。レース直後、陣営の考えはオークスだった。だが、桜花賞の前からあったダービー挑戦の夢を捨てられなかった。
2歳10月のクラシック登録で牡馬クラシックを含め5競走にエントリーしており、ウオッカのダービー挑戦はすでに用意されたシナリオだった。タニノギムレットとの父子制覇はカントリー牧場の夢でもあった。最終的に角居調教師の決断によって、その夢はウオッカに託された。
皐月賞を勝ったヴィクトリー、最後に猛追したフサイチホウオーに次ぐ3番人気。カントリー牧場の夢をあと押ししたファンも多かった。レースはアサクサキングスがマイペースを決めるスロー。ウオッカは中団馬群の中にいた。そして迎えた最後の直線。ウオッカは目の前にある牡馬の壁を突き破るように伸びた。白く美しい鼻筋が府中の直線で光り輝き、満員のスタンドを酔わせた。夢は挑戦しないことには叶わない。牝馬のダービー制覇は、64年ぶり。そしてこの勝利がのちの牝馬の挑戦へつながった。
【了】
(文●勝木淳)
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