革命級の調教…!日本競馬を変えた坂路の申し子(4)スパルタが産んだ超怪物…巨体なのになぜ長距離が強いのか
平成の競馬界は「西高東低」といわれた。関東のG1であっても、関西馬が活躍することは珍しくなかった。一方、昭和後期は「東高西低」で、ミスターシービーやシンボリルドルフを含む関東馬が、1983年から1990年までダービー8連覇を達成した。この流れを変えた一つの要因が、1985年栗東に整備された坂路コースといわれている。坂路調教が関西馬の飛躍を大いに支えたのだ。今回は、そんな“坂路”に着目。坂路調教で鍛えられた名馬5頭を時系列で紹介する。今回は4頭目。
④キタサンブラック
~新・坂路の申し子~
オールドファンにとって「坂路」といえばミホノブルボンの名前が真っ先に挙がるが、20~30代のファンはキタサンブラック(栗東・清水久詞厩舎)の方がしっくりくるかもしれない。
“新・坂路の申し子”とも呼ばれたキタサンブラックは、清水久調教師によって素質を見いだされ、5歳暮れの有馬記念を最後に引退するまで中長距離路線で大活躍。無尽蔵のスタミナを武器にG1を7勝した。
キタサンブラックは、500kgを優に超える馬体の持ち主だった。一般的に長距離ランナーは人間界と同じく、やや細身でスラっとした体形の馬が多い。しかしキタサンブラックは骨格が大きく、短距離馬と言われても違和感のないフォルムをしていた。
それは母の父サクラバクシンオーの血の影響もあっただろうが、坂路でのスパルタ調教も大きな要因となっていたはずだ。
ここ十数年の間に調教に対する考え方は徐々に変化を遂げた。かつてはレース直前の最終追い切りでも一杯に追うことが珍しくなかったが、藤沢和雄元調教師に影響もあって、あまり速い時計を出さずにレースに臨むケースも増えた。
そんな中にあって、坂路でハードに鍛えられたのがキタサンブラックである。時に不可解な惨敗を喫することもあったが、ゴールまでバテないスタミナに加えて、中距離戦でマイラーに対抗できるスピードも兼ね備えていた。間違いなく清水久師が課したハードな坂路調教もその源泉となっていたはずだ。
【了】
(文●中川大河)
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