「えげつない面々だ!」90年代は伝説続々…オールカマーの名勝ち馬(5)衰えを指摘する声を撃退! 負けなしの英雄
1955年に創設されたオールカマーは、その名の通り、出走馬に広く門戸を開いた競走として創設された。1986年から1994年までは「地方競馬招待競走」として行われており、当時数少ない、地方競馬所属馬も出走できるレースであった。施行条件に関しては、創設当初は中山芝2000m、1984年からは現在の中山芝2200mで行われており、1995年からはG2格付けとなっている。そんなオールカマーの歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。
⑤2009年(勝ち馬マツリダゴッホ)
サクラローレルの勝利から12年が経った、2009年のオールカマー。この年は、創設から54回目にして初となる、オールカマー連覇が達成された。
達成したのはマツリダゴッホ。AJCC、オールカマー、有馬記念、日経賞と、重賞勝利は全て中山コースという生粋の中山巧者である。そんなマツリダゴッホが、もちろんこれも史上初となるオールカマー3連覇に挑んだのが、2009年のオールカマーであった。
しかし、戦前の評価は単勝3番人気。前年のオールカマー以降、1年間で勝利はおろか、馬券圏内もゼロ。前年覇者として挑んだ有馬記念でも、ダイワスカーレットの12着に大敗していた。6歳シーズンを迎えて衰えを指摘する声も聞かれ始めたことに加え、過去2年と比較してメンバーレベルも高かったこともあり、3番人気に甘んじていた。
1番人気は、直前の宝塚記念を制しているG1・2勝馬のドリームジャーニー。2番人気は、新潟大賞典、エプソムCと重賞連勝中のシンゲン。マツリダゴッホのコース適性の高さは認めるものの、厳しい戦いが予想される3番人気であった。
レースは、まさかの大外枠からマツリダゴッホがハナを切り、エイシンデピュティが2番手を追走。デビュー25戦目にして初となる逃げの手に打って出たマツリダゴッホの姿に、観客からは驚きの声が上がっていた。シンゲンとドリームジャーニーは並んで中団を追走する形となり、前半1000mの通過は61秒0というスローペース。前の4〜5頭はバラバラの展開で馬群も縦長となっていたにも関わらず、ゆったりと流れていた。そのまま馬順が大きく変わることはなかったものの、全体的に馬群が凝縮して4角を回り、最後の直線へと向かう。
直線に入ると、マツリダゴッホのリードは2馬身。2番手に浮上したマンハッタンスカイが必死に追うも、逆に差が広がっていく。代わってその外から伸びてきたのが、ドリームジャーニー。その内から連れるようにしてシンゲンも伸びてきて、人気3頭の争いとなる。しかし、逃げるマツリダゴッホの脚色は衰えず、最後まで2馬身のリードをキープして勝利。激しい2着争いは外のドリームジャーニーが制し、アタマ差の3着がシンゲンとなった。
勝ったマツリダゴッホは、史上初となるオールカマー3連覇を達成。重賞タイトルも、中山のみで6つ目となった。マツリダゴッホはその後、同年の有馬記念7着を最後に現役を引退。オールカマーには3年連続で出走し、負けなしのまま現役引退となった。
(文●中西友馬)
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