【木之前 葵騎手インタビュー <前編>】宮崎の少女が名古屋のジョッキーに──木之前葵騎手の原点とは?
宮崎県で乗馬と出会い、騎手になる夢を描いた少女がいた。それが、今や名古屋競馬を代表する女性ジョッキー・木之前葵騎手だ。
競馬関係者のいない環境で育ちながら、馬が好きという純粋な気持ちを原動力に、騎手への道を切り拓いた。インタビュー前編では、彼女がジョッキーを志したきっかけや、騎手になってからの暮らしについて語ってもらった。
騎手を目指したきっかけは…
――まず最初に、騎手という職業に興味を持たれたきっかけと、その時期を教えてください。
(木之前)小学校6年生のときに乗馬を始めて、それで馬に興味を持ったのがきっかけですね。
「将来、馬に関わる仕事ができたら素晴らしいな」と思っていたときに、ジョッキーという仕事を知りました。
でもそのときは、まだ将来の夢のひとつぐらいにしか思っていなかったです。厳しい世界だっていうことも全然分かっていなかったですし、「乗馬が楽しいから大人になってもやりたいな」という感じでした。
――本格的に騎手を目指し始めたのは、いつ頃のことだったんですか?
(木之前)中1から中3まで、宮崎の育成牧場で乗馬をやっている少年団に通っていて、土日だけですけど、毎週馬に乗っていました。
そうしている間に、楽しいって気持ちがどんどん強くなって、「将来は騎手になるんだ」って思うようになりました。それでJRAの試験を三度受験したんですけどダメで、最終的には地方競馬の騎手になりました。
――身近な方で騎手になられた方はいらっしゃったんですか?
(木之前)ジョッキーだけでなく、競馬関係者が身近にいなかったんですよ。私は宮崎県出身なんですけど、宮崎県って馬の生産牧場とかいっぱいあるっていうのも、あとから気づいたぐらいで。
そのときは本当に競馬の情報を全然知らなかったので、少年団の先輩がJRAの試験を受けていたのを見て、私もJRAを受験しました。
――宮崎県出身の騎手は、他にもいらっしゃいますか?
(木之前)現役ですと佐賀競馬所属の長谷川蓮騎手が同じ宮崎県出身ですね。
――そうなんですね。ちなみに、小6で乗馬を始めたときは、自分からやりたいって言われたんですか?
(木之前)はい、最初は体験乗馬で引いてもらいつつ乗っていたので、常歩と速歩だけだったんですよ。
でも、その隣で先輩たちが障害を飛んでいるのを見て、「面白そうだからあれやりたい!」って言って、体験初日に入団を決めたんです。
その体験乗馬から実際に入団するまでけっこう日にちがあったんですけど、母に「早くやりたい!」って何回も言っていたみたいです。
――では最初から、馬が怖いとかはまったく感じなかったということですか?
(木之前)最初から「楽しい!もっとやりたい!」でしたね。それこそ体験乗馬は姉も一緒に行ったんですけど、姉は「怖い」って思ったらしく…真逆の反応を見せていましたね。
――まさに騎手が天職だったわけですね。では乗馬を始められる前、子どもの頃はどんな性格でした?
(木之前)子どもの頃は、男の子と喧嘩をしたりとか…まぁ、おてんばでしたね(笑)。