カネヒキリ ~屈腱炎、骨折……幾たびの大けがを乗り越えた不屈のダート王~
カネヒキリ(Kane Hekili)
最優秀ダートホースに二度輝いたカネヒキリ。他にも二度受賞している馬はいるが、彼の特筆すべき点は、初受賞から3年後に再び栄冠を手にしたことだ。この事実からもわかるが、彼の現役生活は決して順風満帆ではなかった。大怪我による1年以上の長期休養を2度も経験しながら、復活を遂げたカネヒキリ。その波乱に満ちた現役時代を振り返る。

プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | フジキセキ | |
母 | ライフアウトゼア | |
生年月日 | 2002年4月10日 | |
馬主 | 金子真人ホールディングス | |
調教師 | 角居勝彦 | |
生産者 | ノーザンファーム | |
通算成績 | 23戦12勝【12-5-1-5】 | |
獲得賞金 | 8億1629万1000円 | |
主な勝ち鞍 |
2005年 ジャパンダートダービー 2005年 ダービーグランプリ 2005年 ジャパンカップダート 2006年 フェブラリーステークス 2008年 ジャパンカップダート 2008年 東京大賞典 2009年 川崎記念 |
|
受賞歴 | 2005年 JRA賞最優秀ダートホース 2008年 JRA賞最優秀ダートホース |
|
産駒成績 | 産駒デビュー年:2014年 | |
通算重賞勝利数:2勝 | ||
通算G1勝利数:0勝 | ||
代表産駒 |
ロンドンタウン(2017年 エルムS) ミツバ(2019年 川崎記念) |
屈腱炎と骨折を克服した稀有な逸材
2002年のセレクトセール当歳部門に上場され、金子真人氏に2000万円(税抜)で落札された栗毛の若駒は、後にハワイ語で「雷の精」を意味するカネヒキリと名付けられる。
カネヒキリは、サンデーサイレンスの初年度産駒であり「幻の三冠馬」と称されたフジキセキの5世代目の産駒であった。ターフで躍動した青鹿毛の父と比べ、彼は母方に色濃く流れる米国由来のダート血統を受け継ぎ、その馬体も大きく異なっていた。毛色だけでなく、筋骨隆々とした逞しい体つきを誇り、ダートに活路を見出してからは圧倒的な強さを発揮した。
若くしてダートチャンピオンの栄光をつかんだカネヒキリの競走生活は順風満帆に思えたが、そこに待ち受けたのは苦難の連続であった。
2004年の夏、カネヒキリは芝のレースでデビューを果たしたが4着、2戦目も芝を走り11着に沈んだ。しかし、年が明けて復帰戦に選ばれた京都のダート未勝利戦を7馬身差で勝ち上がり、続くダートの条件戦も1.8秒の大差で勝利した。次に芝2000mの毎日杯で7着に敗れたことを最後に、完全にダート路線へ舵を切ることとなる。
オープンの端午ステークスを9馬身差で楽勝。次のユニコーンステークスも危なげなく勝利し、初重賞制覇となった。カネヒキリはこの頃から、同じく武豊が鞍上で、同世代かつ同一馬主の、後のクラシック三冠馬・ディープインパクトが引き合いに出され、“砂のディープインパクト”と形容されようになる。
次の大井のダートGⅠジャパンダートダービーを4馬身差で圧勝すると、秋初戦となった盛岡のダービーグランプリも2馬身半差で制してダート界では同世代に「敵なし」をアピールした。
勢いに乗って挑んだ初の古馬相手の武蔵野ステークスこそ2着に敗退。しかし、続く古馬一線級が揃うジャパンカップダートではシーキングザダイヤをデッドヒートの末にハナ差で退け、GI初戴冠を果たした。この年、カネヒキリは並みいる古馬のダート強豪馬たちを差し置いて、3歳の身ながらJRA最優秀ダートホースに選ばれた。
年が明け、古馬となったカネヒキリはダート王としてさらなる高みを目指し、新たな船出を迎えた。フェブラリーステークスでは前走に続き、2着シーキングザダイヤを3馬身差で退け、改めて国内最強を誇示し、勇躍ドバイワールドカップに挑戦。しかし、世界の高く厚い壁に跳ね返され、結果は4着。
帰国初戦となった帝王賞でも、地方競馬の総大将として君臨していたアジュディミツオーの逃走劇の前に1馬身及ばず2着に敗れた。しかし、カネヒキリの本当の試練はここからはじまった。
秋の復帰戦として予定していた南部杯を前に、右前浅屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされる。1年後、復帰を目指し調整中に屈腱炎再発の悪夢が襲いかかる。不治の病と言われた怪我に苦しむが、ここで屈しないのが、カネヒキリの真骨頂だ。陣営の懸命な努力の甲斐もあり、約2年4ヶ月のブランク期間を経て、08年11月の武蔵野ステークスでようやく復帰を果たした。
レースでは、不利もあり9着に敗れたカネヒキリだが、心はまったく折れていなかった。叩いて上積み十分のカネヒキリは、復帰2戦目のジャパンカップダートでは負傷中の武豊に代わり、クリストフ・ルメールと新コンビを組んだ。
単勝オッズ9.8倍で4番人気の評価だったが、直線で内めから抜け出し、メイショウトウコン、ヴァーミリアンとのゴール前で3頭横並びの壮絶な叩き合いをアタマ差で制し、見事な復活劇を披露した。続く年末の東京大賞典では、ダートGⅠ級を9勝したヴァーミリアンとの一騎打ちをクビ差でねじ伏せ、04年以来となる3年ぶりの最優秀ダート馬に選出された。
晴れてダート王者に返り咲いたカネヒキリは翌年、Jpn1の川崎記念も快勝した。続くフェブラリーステークスで3着、かしわ記念で2着となった後に、左第3指骨の骨折が判明。再度の長期休養を強いられるも、約1年の休養を経た復帰戦の帝王賞で2着、盛岡のマーキュリーカップでは5馬身差の圧勝。8歳になっても衰えぬ不屈の魂を誇示した。
フジキセキの後継種牡馬としてスタッドインしたカネヒキリ。16年に早逝したものの、川崎記念で親子制覇を成し遂げたミツバやコリアカップを連覇したロンドンタウンが代表産駒として躍動した。
【了】
(文●TOM)
【関連記事】
・【フェブラリーS走破タイム トップテン】砂のスピード王決定戦! 歴史上最も早く駆け抜けたのは?
・【フェブラリーS名勝負 5選】ダート馬たちの大目標! 競馬史に残る“砂の激闘”をピックアップ
・クロフネ ~わずか2戦で伝説に。“ダート最強馬論争”常連の白い怪物~