テイエムオペラオー ~20世紀最後の傑物。和田竜二と紡いだ26の物語~
テイエムオペラオー(T.M.Opera O)
「世紀末覇王」と称されたテイエムオペラオー。年間無敗という前馬未到の偉業を達成し、競馬界に伝説を刻んだ名馬だ。当時デビュー4年目の若手・和田竜二騎手とともに高め合った26戦の軌跡は、まさに人馬一体。GⅠ7勝を挙げるなど輝かしい栄光に彩られた。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | オペラハウス | |
母 | ワンスウエド | |
生年月日 | 1996年3月13日 | |
馬主 | 竹園正繼 | |
調教師 | 岩元市三 | |
生産者 | 杵臼牧場 | |
通算成績 | 26戦14勝 [14-6-3-3] | |
獲得賞金 | 18億3518万9000円 | |
主な勝ち鞍 |
1999年 皐月賞 2000年 天皇賞(春) 2000年 宝塚記念 2000年 天皇賞(秋) 2000年 ジャパンカップ 2000年 有馬記念 2001年 天皇賞(春) |
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受賞歴 |
1999年 最優秀4歳牡馬 2000年 年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬 2004年 顕彰馬 |
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産駒成績 | 産駒デビュー年:2005年 | |
通算重賞勝利数:4勝 | ||
代表産駒 | テイエムトッパズレ(2009年 東京ハイジャンプ) |
~20世紀最後の傑物~
【写真で見る】テイエムオペラオーの軌跡 ~秋古馬三冠、年間無敗の“世紀末覇王”~
20世紀最後の年に年間無敗の快挙を達成し、その圧倒的な強さからマンガのキャラクターになぞらえて「世紀末覇王」と呼ばれたテイエムオペラオー。デビュー4年目の和田竜二騎手がデビューから引退まで手綱を握ったことでも知られる。
父オペラハウスは英国でGⅠを3勝したが、日本ではサンデーサイレンスの台頭もあり、大きな期待はされていなかった。母のワンスエンドが短距離血統のため、長距離を走れるようにという狙いからオペラハウスが配合された。
1998年8月のデビュー戦で2着になったが、レース中に飛節を骨折してしまう。そのため陣営は皐月賞に間に合わないと考えて、クラシックの登録料3万円を納めなかった。しかし、テイエムオペラオーだけは諦めていなかった。
骨折後の始動戦こそ4着だったが、そこから3連勝で重賞勝ちを果たした。中でも毎日杯では2着馬に4馬身差をつける快勝であった。陣営はその走りを見て、皐月賞への出走を決意し、クラシック追加登録料200万円を支払った。
本番の皐月賞では2強対決と目されていた。それは皐月賞と同じ中山2000mの前哨戦である弥生賞でしのぎを削ったナリタトップロードとアドマイヤベガである。彼らに注目が集まり、オペラオーは5番人気と伏兵扱いであった。だが最終直線では、大外から一気に他馬を抜き去り、一着で入線。見事、皐月賞馬に輝いた。
続いて、大目標の日本ダービーへ向かう。レースでは、三つ巴の戦いとなったが、直線で伸び負けてアドマイヤベガの3着になり、二冠獲得は叶わなかった。
秋の初戦は古馬混じりの京都大賞典で3着に入り、はじめての長距離戦となる菊花賞へ。結果、距離には対応してみせたが、差し届かずクビ差の2着となった。
その後、有馬記念で一線級の古馬と激突する。このレースには、一世代上のグラスワンダーとスペシャルウィークが出走していた。超強豪相手にタイム差なしの3着と大健闘。その年の活躍に加え、晩成血統のオペラオーに翌年の飛躍が期待されたが、彼はその期待を遥かに上回る伝説を打ち立てことになる。
年明け初戦の京都記念を勝利で飾ると、天皇賞(春)の前哨戦である阪神大賞典では楽勝する。続く天皇賞(春)では単勝1.7倍に応え勝利した。続く宝塚記念も勝ち、上半期の中長距離重賞を全勝で終える。
その年の秋、京都大賞典でライバルの菊花賞馬ナリタトップロードにムチを使わず勝利すると、天皇賞(秋)、ジャパンカップと連勝記録を伸ばした。そして、年間全勝という大記録の行方は年末の有馬記念の結果次第となった。
グランドスラムがかかった運命の有馬記念。レースでは記録を阻止しようと、オペラオー包囲網が形成される。最後の直線でもなかなか抜け出せない。しかし、見つけ出した僅かな綻びを縫って、オペラオーが進出を開始。
最後はメイショウドトウとの大接戦となったが、ハナ差しのいで見事グランドスラムを達成。GⅠ中長距離にすべて参戦し、年間無敗という全馬未踏の大記録を作り、5歳シーズンを終えた。
6歳初戦は足をすくわれる形となったものの、続く天皇賞(春)では連覇を達成し、GⅠ7勝目を挙げた。だが、その後のGⅠでは、3戦連続2着に甘んじた。その中でも宝塚記念では、これまで5回下していたライバル・メイショウドトウにも敗れるなど、実力に陰りが見え始めた。そして、年末の有馬記念を5着で終えターフを去った。
若手の和田騎手と最初から最後までタッグを組み、互いに高めあった26戦。達成した偉大な記録と名コンビの存在は、この先もファンの記憶から決して消えることはないだろう。
※本文中の馬齢は当時の表記
【了】
(文●沼崎英斗)