②マツリダゴッホ
2頭目は2007年の有馬記念を制したマツリダゴッホだ。この年の有馬記念はメイショウサムソン、ダイワスカーレット、ウオッカなどGⅠ馬6頭が集結し、まさにグランプリの名に相応しい豪華な顔ぶれとなった。9番人気の評価のマツリダゴッホは終始経済コースを進み、このドリームレースを制した。単勝5230円は1991年ダイユウサクの13,790円に続く有馬記念史上2位の高額配当である。
この勝利はフロックではなく、必然だったのかも知れない。マツリダゴッホの中山での戦績は13戦8勝、2着1回、3着1回、他の競馬場と比べても群を抜いて好走しているのだ。また、キャリアの全10勝中8勝を中山であげており、そのうち重賞勝ちが有馬記念を含め6勝、全て中山の芝2200m以上であげている。優れたスタミナを存分に発揮できる3コーナーからのまくり作戦は、直線が短く、坂がある中山のコースが好都合だった。
マツリダゴッホの中山初出走は、3歳秋のセントライト記念。後に自身の庭となる初レースでは、最終コーナーで躓き、落馬。競走中止だった。それでも暮れの中山の条件戦を制し、中山初勝利でオープン入りを決めた。4歳になり年明けのAJCCでは、中団好位追走から、3コーナーでスパートを開始すると、最終コーナーで前を捉え、最後は5馬身差の圧勝。中山で重賞初制覇を飾る。その後、3連敗を喫するが、中山に戻ったオールカマーでは、道中8番手から位置を上げていき、最後は押し切って、2つ目の重賞を獲得。この勝利によって、ファンの多くがマツリダゴッホを“中山巧者”と認識することになる。
そして、迎えた年末の有馬記念。レースでは好位内側の3番手を確保したマツリダゴッホは、そのままの位置を保ったまま最終コーナーで失速する前2頭を捉えて先頭に立つと、そのまま急坂も駆け上がり、先頭でゴール。まさかの伏兵の勝利に、11万人超えるファンが詰め掛けた、中山競馬場は騒然となった。
グランプリホースとなったマツリダゴッホは5歳を迎え、有馬記念と同距離の日経賞に出走した。最終コーナーで先頭に立つと、そのまま押し切り勝利、有馬記念の勝利がフロックではないことを証明した。その後は海外遠征、札幌記念と勝利を飾れなかったが、相性の良い中山に戻った、オールカマーには堂々の主役として参戦。道中は好位を追走し、最終コーナーで前に接近すると、直線で楽々と抜け出し連覇を飾った。
翌年の6歳時にも出走したオールカマーでは、逃げの手を打ち、スローペースに持ち込んだ。手応え良くそのまま直線に向くと、最後まで後続を寄せ付けることなく、2馬身差をつける完勝劇だった。同一平地重賞3連覇を達成したマツリダゴッホは、まさに中山を愛し、愛された中山巧者であった。