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クロフネ ~わずか2戦で伝説に。“ダート最強馬論争”常連の白い怪物~

text by 目白明

クロフネ(Kurofune)

2001年の外国産馬クラシック開放元年に輝きを放ったクロフネ。芝・ダートを問わない圧倒的なスピードを武器に、ダート2戦で驚愕のパフォーマンスを披露し最優秀ダートホースに輝いた。その後は種牡馬としても輝きを放ち、アイドルホース・ソダシなど名馬を多数輩出。競走馬としても、種牡馬としても歴史を塗り替えた名馬である。

Kurofune

French Deputy
Blue Avenue
生年月日 1998年3月31日
馬主 金子真人
調教師 松田国英
生産者 Nicholas M. Lotz
通算成績 10戦6勝【6-1-2-1】
獲得賞金 3億7023万5000円
主な勝ち鞍 2001年 NHKマイルカップ
2001年 ジャパンカップダート
受賞歴 2001年 最優秀ダートホース
産駒成績 産駒デビュー年:2003年
通算重賞勝利数:35勝
通算G1勝利数:8勝
代表産駒(主な勝ち鞍) カレンチャン(2011年スプリンターズステークス)
     ホエールキャプチャ(2012年ヴィクトリアマイル)
    ソダシ(2021年桜花賞)

開放元年、白い黒船襲来

 時は2001年。21世紀となり日本競馬は、大きな変革期を迎えていた。この年から2頭という条件付きではあるが、外国産馬に対し、日本ダービーと菊花賞への出走権利が与えられたのだ。背景には世紀末にかけて、エルコンドルパサー、グラスワンダーなど、強い外国産馬が活躍し、クラシックレースに出走できないのは、おかしいなどの声が多数あがっていたため、クラシックレースも外国産馬が出走できる流れとなった。

 そんな開放元年に向け、その3年前の1998年。かつて日本に開国を迫った、ペリー率いるアメリカ艦隊の蒸気船の通称に由来して名づけられた、一頭の馬がアメリカで誕生した。その名はクロフネ。

 雄大な馬格を誇った、白い馬体のクロフネは開放元年の使者になるべく来日。2000年10月、京都の芝1600mでデビューを果たす。血統背景から父フレンチデピュティはアメリカのダート重賞馬で、日本での種牡馬実績はおろか、芝での実力も未知数だったため、当日は3番人気となった。レースでは2番手から、楽な手応えを維持。しかし、直線、窮屈な内に入ってしまいクビ差届かず2着に敗れた。

 続いて出走した2000mの折り返しの新馬戦では、直線持ったまま、先頭に並びかけ、従来のレコードを1秒2更新しての初勝利を挙げた。そのままの勢いで出走した、条件戦でも単勝1.3倍の人気を集め、レースでは3番手から直線に向くと、楽に抜け出し快勝。2000mで2戦連続のレコードを記録する。

 日本ダービー出走へ、これまで多くのG1馬を輩出したラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走。出走馬は、この年の日本ダービー馬アグネスフライトの全弟にあたるアグネスタキオン、札幌3歳ステークスを勝ったジャングルポケットとの対戦は、後に3頭ともがG1馬となり、伝説の一戦とも表されている。当日の単勝オッズでは1.4倍の1番人気に支持されたのはクロフネ、2番人気はアグネスタキオンの4.5倍、ジャングルポケットは4.8倍の3番人気に支持された。

 クロフネは、ジャングルポケットとともに3、4番手に位置する。アグネスタキオンは、それを見るように中団待機となる。3コーナー、クロフネは懸命に前を追いかけるが、ジャングルポケットはついていけずに後退する。前を追いかけたクロフネだが、伸びを欠き、アグネスタキオンに抜き去られ、さらに、ゴール前で力を振り絞った、ジャングルポケットにも交わされ3着に敗れる。日本ダービー出走へ、賞金を加算することができなかった。

 年が明けた2001年。日本ダービーに向け、まずは外国産馬が出走可能な2枠に入る必要があった。そのためにも負けられない毎日杯。1.3倍の圧倒的支持を受けたクロフネは、直線の入り口で先頭に立つと、後続に5馬身の差をつけ完勝。重賞初勝利を飾る。

 日本ダービーの出走権奪取へ、NHNマイルカップに出走する。このレースで2着以内に入れば出走権を獲得できる一戦には、武豊騎手が騎乗し、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される。スタートでは行き脚がつかず、これまでの好位から一転、後方から進む展開になった。迎えた最後の直線、馬群を縫うように抜け出すと、ゴール前で先頭の馬を半馬身差し切って優勝。G1初勝利を飾るとともに、日本ダービーの出走権も手に入れた。

 開放元年に黒船襲来。2001年の日本ダービーは、例年以上の盛り上がりを見せた。皐月賞馬アグネスタキオンは屈腱炎を発症し、無念の引退。ファンが期待した再戦は叶わなかったが、皐月賞で3着に入った、ジャングルポケットとの再戦は実現した。人気は1番人気にジャングルポケットの2.3倍、クロフネが3.0倍で続いた。

 スタートが切られると、逃げ馬が1000m、58秒4のハイペースを作った。クロフネはジャングルポケットを後方から追いかける展開となる。3コーナーを過ぎた辺りから上位進出し、迎えた直線。懸命に前を追うクロフネ。だが思うようには伸びず5着に敗戦。開放元年に日本ダービー制圧とはならず。勝ったのは、豪快に差し切ったジャングルポケットだった。

 夏は休養にあて迎えた秋シーズン。距離適性外の菊花賞ではなく、外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に定め、9月の神戸新聞杯から復帰した。スタート後、つまずき後手を踏んだクロフネは直線では懸命に追いこみ、上がり最速の34秒2の脚をつかうが、先頭には届かず3着に敗れた。

 次は天皇賞(秋)に出走を表明したクロフネだったが、外国産馬の出走2枠に対して、獲得賞金額で、クロフネより上位のメイショウドトウは、出走が確定していたが、残り1枠を巡り、ある事件がおきる。直前になってクロフネより獲得賞金を持つ、アグネスデジタルが出走を表明したのだ。出走権を奪われてしまったクロフネは、天皇賞(秋)には出走できなくなり、前日に行われる、ダートの武蔵野ステークスに出走することになった。

 血統背景から言えば、ダートは問題なく走るだろう、という大方の予想だったが、それ以上の衝撃をみせた。終始、好位つけていたクロフネは、直線で豪脚が大爆発。見る見るうちに後続を引き離し、2着に9馬身もの差をつける圧勝劇。天皇賞(秋)を除外のうっぷんを晴らすかのような走りを披露した。走破タイムの1分33秒3は、芝での走りのようで、ファンを驚愕させた。災い転じて福となす。ダートで新たな可能性を生んだレース振りであった。

 続く一戦は冬のダート王者を決める、ジャパンカップダート。砂の一線級の猛者たちを抑え、ダート2戦目のクロフネが1.7倍の1番人気となった。前年の覇者ウイングアローが3番人気で迎え撃った。だが、観衆の期待は、クロフネがどう勝つかに絞られていた。クロフネはスタートから後方で待機する。道中、徐々に前に進出すると、最終コーナーでは、持ったままの楽な手応えで、先頭に躍り出てると、直線、独走態勢となりウイングアローに7馬身差をつける圧勝を飾った。タイムの2分5秒9は前年の記録を1秒3更新するレコードであった。

 開放元年の日本ダービー制覇は果たせなかったが、ダートにて世界レベルの実力をみせ、ダートわずか2戦ながら衝撃の走りで、JRA賞最優秀ダートホースを受賞した。

 翌年以降の海外での活躍を期待されたが、年末にショッキングな出来事がおきてしまう。調教後に屈腱炎を発症してしまったのだ。このケガにより長期休養を要してしまうため、ここで引退することが決まった。

 引退したクロフネは種牡馬となっても輝きを放ち続けた。初年度産駒からフサイチリシャールが2歳王者となり、その後もカレンチャン、アエロリットというG1馬も多数輩出した。そして最高の傑作が、ソダシではないだろうか。白毛馬のソダシはまさに、競馬界のアイドルとしてファンを魅了した。実績も抜群で2歳女王を皮切りに、桜の女王にも輝いた。古馬になっても、ダートで結果を残しつつ、ヴィクトリアマイルを勝つなど、まさに世界中にも愛されたアイドルホースであった。

【了】

(文●目白明)

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