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芝ダート障害の“三刀流”タガノエスプレッソや時代を築いたキングジョイなど【京都ジャンプS 名勝負5選】

text by 中西友馬

1999年に創設された、京都ジャンプステークス。通称「3段跳び」と呼ばれるバンケット障害が設置されていることが特徴で、この障害をいかにリズムを崩さずに走れるかが鍵である。2009年からは開催時期が春から秋に変更となり、年末の大一番、JG1中山大障害に向けても重要なステップレースとして注目される。今回は、京都ジャンプステークスの歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。

Hokko Amber
第4回京都ジャンプSを制したときのホッコーアンバー

①2002年(勝ち馬ホッコーアンバー)

まず最初に取り上げるのは、2002年に行われた第4回京都ジャンプステークス。この年の注目は、新星ホッコーアンバーの重賞初挑戦であった。

ホッコーアンバーは、7歳になってからの障害入りという遅咲きながら、入障2戦目で障害戦初勝利を挙げると、その後OPを連勝。2着馬につけた着差も、8馬身→3馬身→大差と圧勝していた。障害界に現れたオールドルーキーの重賞初挑戦が、京都ジャンプステークスであった

 OPを2勝ながらも、JG2勝ち馬と同じ62キロとハンデは見込まれた。それでも単勝1.5倍と断然の1番人気に支持されていた。同じアンバーシャダイ産駒で、平地・障害の両重賞制覇を果たしているカネトシガバナーが2番人気であったが、その単勝は8.8倍と大きな開きがある状態で出走を迎えた。

 レースは、カネトシガバナーがハナを切り、後続をグングンと引き離していく大逃げを打つ。ホッコーアンバーは離れた2番手を追走する形となり、序盤から縦長の展開となった。しかし、2周目の向正面でカネトシガバナーは失速。代わって2番手からホッコーアンバーが先頭へと立つと、あとはひとり旅。後続に大きな差をつけて4角を回り、最後の直線へと向かう。

 直線では完全にセーフティーリードを築き、そのまま7馬身差の圧勝劇。早々とホッコーアンバーに交わされたカネトシガバナーは、直線で粘りを欠き8着。好位から脚を使ったビッグハンターが2着を確保した。

 勝ったホッコーアンバーは夏場を休養に充て、年末の大一番である中山大障害に向けて、秋陽JSからの始動が発表されていた。しかし、その調整過程で深管骨瘤が判明。ローテーションは白紙となり、その後ターフに姿を現すことがないまま、2003年10月に競走馬登録を抹消。夢半ばでの現役引退となった。

 3200m以下の、障害レースとしては比較的短い距離のレースしか走っていなかったが、圧勝ばかりのレースぶり。障害戦では未だ底を見せていなかっただけに、中山大障害で走る姿を見てみたかった馬であった。

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