HOME » コラム » 5選 » クロフネ“9馬身差の衝撃レコードV”や“若かりし頃”のノンコノユメなど【武蔵野S 名勝負5選】 » ページ 2
Kurofune
写真は第2回ジャパンカップダートを制したときのクロフネ

②2001年(勝ち馬クロフネ)

 先述したように、エムアイブランが連覇を達成した1999年を最後にして、武蔵野ステークスは大きな変更が行われた。そして、変更2年目の2001年、武蔵野ステークスとJCダートを連勝する馬が現れた。それが、ポテンシャルなら歴代ダート馬最強との呼び声も高い、クロフネであった。

 2001年の秋、元々クロフネは天皇賞(秋)への出走を予定していた。しかし当時の天皇賞(秋)には外国産馬の出走制限があり、2頭までしか出走が許されていなかった。1枠目がメイショウドトウ、そして2枠目にクロフネが入る予定であった。

 しかし、マイルCS南部杯を制したアグネスデジタルが一転、天皇賞(秋)出走を表明したことにより、クロフネは天皇賞(秋)出走が叶わなくなったのであった。これに関してはルールに則ったことであり、アグネスデジタル陣営にはなにも非はない。さらに実際、アグネスデジタルが天皇賞(秋)を制したことで、周囲の雑音を打ち消したことは天皇賞(秋)のコラムでも書いた通りである。

 そして、天皇賞(秋)への出走が不可能となったクロフネは、天皇賞(秋)前日の武蔵野ステークスへの出走を決め、初のダート挑戦となった。初ダートにも関わらず、クロフネは単勝2.3倍の1番人気に支持を受けていた。対する古馬代表はエルムS覇者のエンゲルグレーセで、こちらは単勝2.7倍の2番人気で発走を迎えた。

 レースは、スピードタイプのサウスヴィグラスがハナを切ったことで活気のある流れ。しかし、クロフネはこのペースを好位3番手の外で楽に追走する。そして持ったまま前に並びかけて4角を回り、最後の直線へと向かう。

 直線に入ると、少し気合いをつけただけで後続を置き去りにする圧巻のレース。正攻法で勝負を挑んだエンゲルグレーセは苦しくなり、後方から追い込んだイーグルカフェが2番手に上がるも、クロフネははるか前方。最後は手綱を抑える余裕を見せながら、9馬身差の圧勝劇となった。

 そして、勝ちタイムは驚愕の1分33秒3。従来の日本レコードを一気に1秒以上更新するものであった。良馬場で最後は手綱を緩めてのものだっただけに、脚抜きの良い馬場でびっしり追えば、タイムはさらに詰まっていたに違いない。自身が芝のNHKマイルCを勝利したときの勝ちタイムが1分33秒0だったことを考えても、まさに芝並みの驚異的なタイムであった。

 勝ったクロフネはその後、JCダートでも従来の日本レコードを1秒以上更新する2分05秒9のタイムで走破。後続を7馬身ちぎる圧勝劇で、史上初となるJRA芝・ダート両G1制覇の偉業を達成した。今後の活躍が期待されたが、屈腱炎を発症して電撃引退となった。

 ダートでの走りは2戦のみながら、共に良馬場で日本レコードを打ち立てた。日本歴代ダート馬最強の呼び声が高いのもうなずける、衝撃の走りであった。

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