④2007年(勝ち馬フジノウェーブ)
ブルーコンコルドが変則連覇を達成した翌年となる、2007年の大井JBCスプリント。先述したようにブルーコンコルドはJBCクラシックに出走。そのため、JBCスプリントは前年のJBCマイルの2.3着馬が人気を分け合っていた。
単勝2.3倍の1番人気はメイショウバトラー。この年も春から夏にかけて重賞4連勝。初の1200m戦となった東京盃でも2着に好走し、対応力の高さを見せていた。僅差の2.5倍で続いたのが、リミットレスビッド。こちらは前哨戦の東京盃でメイショウバトラーに勝利。舞台適性の高さでは、こちらが一枚上手ともいわれていた。
レースは、内枠を利してアグネスジェダイがハナを切る。プリサイスマシーンが差のない2番手につけ、リミットレスビッドは好位の外めからの競馬となった。メイショウバトラーはそれをマークするように、好位の後ろから進めていく。その隊列のまま4角を回り、最後の直線へと向かう。
前は、逃げるアグネスジェダイの外にプリサイスマシーンが並びかけ、さらにその外にナイキアディライトが並ぶ雁行状態。残り150m辺りで、その争いからナイキアディライトが脱落。
代わって、4番手のイン追走から外に切り替えていたフジノウェーブが伸びてきて、再び3頭による叩き合い。残り100mを切って、前を行く2頭をねじ伏せたフジノウェーブが、クビ差だけ出て勝利。2着にはプリサイスマシーンが入り、そこからさらにクビ差の3着にアグネスジェダイとなった。
勝ったフジノウェーブは、地方所属馬初となるJBCスプリント制覇。JBCクラシックをミューチャリーが勝利する14年前だったため、2001年に創設されたJBC競走自体でも、地方所属馬初の勝利となった。
フジノウェーブは、その後の交流重賞でもJRA勢に混じって活躍。翌年の東京盃を制し、交流重賞2勝目を飾った。また、8歳時に新設された東京スプリング盃では、8歳から11歳まで4連覇を達成。その功績が評価され、現役引退後の第5回からは、レース名がフジノウェーブ記念と改称された。