②1992年(勝ち馬ライスシャワー)
スーパークリークの勝利から4年が経った1992年の菊花賞。この年の注目は、なんと言ってもミホノブルボン。
デビューから7戦7勝と負けなしの「坂路の申し子」は、皇帝シンボリルドルフ以来、史上2頭目となる無敗の3冠馬への挑戦権を得ていた。しかしその偉業に待ったをかけたのが、ライスシャワーであった。
ライスシャワーは、ダービーまではミホノブルボンを脅かすような存在とは見られていなかった。それまで重賞勝ちもなく、皐月賞では8着。ダービーでは単勝16番人気という評価であった。
しかしそのダービーで、ミホノブルボンには4馬身離されたものの2着に大健闘。その後、セントライト記念ではレガシーワールドに惜敗の2着。再びミホノブルボンとの対決となった京都新聞杯では1馬身半差の2着と、着実に力をつけてきていた。
そして迎えた菊花賞。単勝1番人気はミホノブルボンで1.5倍。2番人気がライスシャワーであったが単勝7.3倍と大きく水を開けられており、11.7倍の3番人気にダービー4着のマチカネタンホイザが続いていた。
レースは、ミホノブルボンが好ダッシュを決めるも、その外からキョウエイボーガンがハナを主張。ミホノブルボンは2番手に収まり、マチカネタンホイザとライスシャワーは好位からの競馬となる。
1000mの通過は59秒7とハイペースで進み、馬群は縦長でバラバラの展開となる。レースが動いたのは4角手前。キョウエイボーガンは早くも失速し、ミホノブルボンが残り600mで先頭に立つ。ライスシャワーとマチカネタンホイザは併せ馬の形で前との差を詰め、最後の直線へと向かう。
直線に入っても先頭はミホノブルボンであったが、内からマチカネタンホイザ、外からライスシャワーがジリジリと詰めてくる。そしてついに残り100mで3頭が横並びとなり、その中から抜け出したのは外のライスシャワー。
ミホノブルボンも必死の抵抗を見せるが、マチカネタンホイザとの2着争いを制するにとどまり、無敗の3冠制覇はならなかった。
勝ったライスシャワーは、重賞初勝利がG1制覇となり、今まで4戦4敗であったミホノブルボンにも初勝利。勝ちタイムの3分5秒0は、当時の芝3000mの日本レコードというおまけつきであった。
ライスシャワーはその後、メジロマックイーンの天皇賞春3連覇阻止など、2度の天皇賞春制覇を果たす。名ステイヤーとして活躍したが、最後は宝塚記念のレース中に骨折、予後不良となって天国へと旅立った。
さまざまな偉業を阻止する勝利が多かったため、「レコードブレイカー」などと呼ばれヒール役になることもあったが、ファンも非常に多い馬であった。