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ダンスインザダーク ~菊の舞台で華麗に舞った漆黒の超良血馬。サンデーサイレンス四天王の一角~

text by TOM

ダンスインザダーク(Dance in the Dark)

1993年に生まれたダンスインザダークは、父サンデーサイレンス、母の父ニジンスキーという超良血馬。クラシック戦線では“サンデーサイレンス四天王”の一角として期待されながらも順調にはいかず。しかしながら武豊騎手の神騎乗に導かれ菊花賞でその実力を見事に開花させた。ラスト1冠で世代最強の実力を証明し、競馬史に残る名馬として名を刻んだ。

Dance in the Dark

性別 牡馬
サンデーサイレンス
ダンシングキイ
生年月日 1993年6月5日
馬主 (有)社台レースホース
調教師 橋口弘次郎
生産牧場 社台ファーム
通算成績 8戦5勝【5-2-1-0】
獲得賞金 3億7955万1000円
主な勝ち鞍 1996年 菊花賞
受賞歴 1996年 JRA賞最優秀4歳牡馬
産駒成績 産駒デビュー年:1989年
通算重賞勝利数:5勝
通算G1勝利数:0勝
代表産駒 デルタブルース(2006年メルボルンカップ)
ツルマルボーイ(2004年安田記念)
ザッツザプレンティ(2003年菊花賞)

ラスト1冠で実力のすべてを凝縮させた超良血馬

 1993年6月、社台ファームに一頭の漆黒の牡馬が誕生する。父は後に13年連続リーディングサイアーに君臨し、日本の血統勢力図を塗り替えたサンデーサイレンス、母はアメリカ産のダンシングキイという血統。

 母の父がイギリスクラシック三冠馬のNijinsky(ニジンスキー)で、全姉にはオークス馬のダンスパートナー、半兄に青葉賞を勝つなど重賞3勝を挙げたエアダブリンがおり、生まれたときから大きな期待がかけられていた。

 ダンスインザダークは、全8戦という短い現役生活ではあったものの、デビューから手綱をとり続けた武豊騎手を背に菊花賞を制覇。サンデーサイレンス2世代目産駒の「四天王」の一頭として、クラシック戦線をけん引した。

 黒鹿毛の馬体と母名から「ダンスインザダーク」と名付けられ、栗東の橋口弘次郎調教師の元に預けられた。95年12月のデビュー戦を快勝するも、年末のラジオたんぱ杯3歳Sでロイヤルタッチ、イシノサンデーに次ぐ3着に敗れる。

 翌年、始動戦となったきさらぎ賞でもロイヤルタッチとの叩き合いの末、2着に惜敗した。ダンスインザダークは、ライバルだった上記2頭に加え、95年の朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティステークス)を勝った同期のバブルガムフェローとともに、サンデー産駒「四天王」と呼ばれた。

 迎えた皐月賞トライアルの弥生賞では、単勝オッズ1.9倍の1番人気となったイシノサンデーに続く2.1倍の2番人気だったが、レースでは後方待機からの末脚発揮で実力差を見せつける。先のラジオたんぱ杯3歳Sでは0.6秒差をつけられていたイシノサンデーを3着に退ける強い競馬でクラシックの主役へと名乗りを挙げた。

 ところが、好事魔多し。レース6日前に熱発してしまい、クラシック初戦の皐月賞を回避することとなる。すぐに回復したダンスインザダークは、大目標の日本ダービー前にトライアルのプリンシパルステークスを叩くこととなった。

 レースでは“持ったまま”で快勝し、大一番の日本ダービーでは、皐月賞を勝ったイシノサンデーやロイヤルタッチらを抑えて、単勝オッズ2.3倍の1番人気の大本命に指示された。

 道中はスムーズに好位の3、4番手を追走し、手応えよく直線を迎える。残り200m手前であっさりと単独先頭に立ち、あとはどれだけ突き放すか。ところがゴール寸前、ここまで2戦2勝、しかも3月以来久々の実戦だった7番人気の伏兵フサイチコンコルドの強襲にあい、クビ差の2着に惜敗した。

 鞍上の武豊、また橋口調教師にとっても、ゴール目前まで手中に収めていた悲願のダービー制覇がするりとこぼれ落ちる結果となった。

 クラシックを無冠で終わらせるわけにはいかないダンスインザダークは、夏場を休養に充てられ、秋は京都新聞杯から始動した。単勝1.9倍の断然人気に応える快勝劇でロイヤルタッチ、イシノサンデーらを蹴散らしたダンスインザダークは、クラシック最後の一冠の菊花賞でも堂々、単勝2.6倍の1番人気に支持された。

 レースは武豊の「神騎乗」によって終盤のピンチを克服し、見事に悲願のGⅠ制覇を成し遂げる。ダンスインザダークは、大外17番枠からスタートし、道中10番手あたりの中団馬群を追走する。

 向こう正面で内に進路をとったダンスインザダークは、進出開始が求められる残り800m地点では前が詰まって、位置を上げられずにいた。最終コーナーを12番手で回り、直線入り口では先頭から離されたポジションとなっていた。

 ところが武豊に導かれたダンスインザダークは、菊花賞史に残る豪脚を発揮する。馬場の最内から馬群をさばきつつ、残り200m地点で外に持ち出される。ダービーで敗れたライバルのフサイチコンコルドやロイヤルタッチらが先頭争いを繰り広げるなか、一頭だけ別次元のスピードで外から一気に差し切った。

 ダービーでの雪辱を果たすとともに、ライバルも一蹴したことで、名実ともに世代最強を証明し、この年の最優秀4歳牡馬に選出された。

 菊花賞で披露した、上がり3ハロン33.8秒という鬼脚の代償は大きかったのか、ダンスインザダークはレース後に左前浅屈腱炎を発症し、全8戦のキャリアをもって種牡馬入りする。

 多数の重賞ホースを輩出し、代表産駒には2004年の安田記念を制したツルマルボーイを出している。また父同様にザッツザプレンティとデルタブルース、スリーロールスの3頭が菊花賞馬となった。

 父として直系を残すことはできなかったダンスインザダークだが、ブルードメアサイアーとして天皇賞(秋)や宝塚記念を制したラブリーデイらを輩出し、現在も血統表にその名を広げている。

 順調さを欠いた影響もあって陣営の悲願こそ叶わなかった超良血馬のダンスインザダークだが、ラスト1冠ですべてを凝縮させた豪脚Vは、紛れもなく世代ナンバーワンの実力だった。

※本文中の馬齢は当時の表記

(文●TOM)

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