②2002年(勝ち馬トーホウエンペラー)
メイセイオペラの勝利以降、南部杯は再びJRA勢の連勝が続いていた。その連勝を止めたのは、やはり地元岩手のトーホウエンペラーであった。
トーホウエンペラーは脚部不安のためデビューが遅れ、初出走は4歳(現3歳)の12月31日。翌日には5歳になるというタイミングでのデビューとなったが、そこから破竹の9連勝を飾る。その後連勝こそストップしたが、デビューからちょうど1年が経った5歳の12月31日に桐花賞で重賞初制覇を果たした。
年齢表記が変わって、再びの5歳シーズンとなった2001年からは交流重賞に挑戦。南部杯ではアグネスデジタルの2着に入ると、続く朱鷺大賞典で交流重賞を初制覇した。さらには年末の東京大賞典も勝利し、ついにG1級のタイトルも手にした。
そして迎えた6歳シーズン。名古屋大賞典を制して交流重賞3勝目を挙げ、あとは是が非でも欲しい地元のG1級タイトルを求め、2度目の南部杯に挑戦した。
1番人気はスターリングローズ。プロキオンステークスとシリウスステークスを連勝と、勢いに乗っての出走であった。トーホウエンペラーは続く2番人気で、3番人気は前年のフェブラリーステークス覇者ノボトゥルー、4番人気には芝G1を2勝していて、久々のダート挑戦となるトロットスターが続いた。トーホウエンペラー以外の上位人気馬は、軒並みJRA勢という構図になっていた。
レースは、トーヨーリンカーンがハナを切り、その直後にノボトゥルーがつける展開。それをマークするようにスターリングローズが続き、トーホウエンペラーとトロットスターは中団からの競馬となった。レースが動いたのは4角手前。トーホウエンペラーが馬なりながら早めに動いて先頭に並びかける。連れるようにバンケーティングやトロットスターもまくるように上がっていき、最後の直線へと向かう。
トーホウエンペラーは、残り200mで逃げるトーヨーリンカーンを競り落とすと、外から追い上げてきた同じ岩手のバンケーティングの追撃を凌いで勝利。そこから4馬身離れた3着には高崎のマキバスナイパーが入り、地方勢が上位独占という結果になった。
中央交流となってから史上2頭目となる、地元勢の優勝に沸いた盛岡競馬場。このトーホウエンペラー以来、地元勢はおろか地方馬の勝利がなく、現時点でJRA勢が21年連続勝利中である。