HOME » コラム » 5選 » オジュウチョウサンやメイショウダッサイなど! 冬の障害王への重要な一戦【東京ハイジャンプ名勝負5選】 » ページ 5
Meisho Dassai
第22回東京ハイジャンプを制したときのメイショウダッサイ(写真左)

⑤2020年(勝ち馬メイショウダッサイ)

 シングンマイケルの最後のレースとなった、2020年の中山グランドジャンプ。そこでオジュウチョウサンの強さを初めて目の当たりにしたのが、2着のメイショウダッサイであった。
そして、打倒オジュウチョウサンの目標を掲げ、東京ハイジャンプを秋の始動戦に選んでいた。

 すでにJ・G1で好勝負を演じていたメイショウダッサイであったが、当時重賞タイトルはJ・G3小倉サマージャンプのみ。その結果、他馬と同じ別定60キロで出走できることもあり、単勝1.4倍という圧倒的な支持を受けていた。

 レースは、マイブルーヘヴンとコウユーヌレエフの2頭が前を行き、メイショウダッサイはその直後につける。その後、3〜4角の中間辺りで2番手に上がり、前を射程圏内に入れて直線を迎える。

 最終障害を飛越して、残り300m付近で先頭に立ったメイショウダッサイは、直後から追ってきたヒロシゲセブンに差を詰めさせず勝利。前年クビ差の2着に敗れた雪辱を果たした。2着には連れて伸びたヒロシゲセブン、3着にはレース途中からハナを切ったマイブルーヘヴンが入った。

 メイショウダッサイはその後、オジュウチョウサン不在のJ・G1中山大障害とJ・G2阪神スプリングジャンプを連勝。そしていよいよ、中山グランドジャンプで再びオジュウと対峙すると、絶対王者を5着に下して、前年のリベンジを果たしたのであった。

 しかしその後、2度の繋靭帯炎を発症し、現役生活を引退。8歳にしてようやく全盛期と言える強さであったため、本当に残念な怪我であった。

 今や一流の障害馬ともなると、年2回行われるJ・G1を軸にローテーションを組み、出走回数は前哨戦を含めて年4回程度。しかしそのぶん、一戦一戦に費やすパワーは平地レース以上のものを感じる。その結果、このようなドラマや名勝負が数多く生まれると考えるのは、ただの障害レース好きの妄想であろうか…?

(文●中西友馬)

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