オジュウチョウサンやメイショウダッサイなど! 冬の障害王への重要な一戦【東京ハイジャンプ名勝負5選】
1999年に創設された東京ハイジャンプ。2009年から施行時期が6月から10月に移行したことにより、年末に行われるJ・G1中山大障害のステップレースとして、より一層重要度が増している。東京競馬場の大竹柵や大生垣が見られるのは年2回のみ。さらに大生垣が2基となるのは、東京ハイジャンプだけという点でも貴重だ。その中から、ピックアップした5つのレースを紹介する。
①2000年(勝ち馬ゴーカイ)
創設2年目の2000年。当時まだ、6月開催だった東京ハイジャンプに、1頭のスターホースが出走してきた。その名はゴーカイ。直前の中山グランドジャンプでJ・G1初制覇を飾り、勢いに乗っての挑戦であった。
しかし当時の負担重量のルールでは、J・G1勝ち馬は3キロ増、JG2勝ち馬は2キロ増となっていた。そのため、ゴーカイは出走馬で唯一、別定60キロから3キロ増の63キロでの出走。その影響からか、ゴーカイは単勝2番人気であった。
代わって単勝1番人気に支持されたのは、メイショウワカシオ。中山グランドジャンプではゴーカイの4着に敗れていたが、J・G3しか勝っていなかったため、別定60キロで出走できるアドバンテージがあった。
レース序盤はファンドリロバリーとレガシーロックが競るような形で飛ばす。3番手にポツンとマキシマムプレイズが続き、そこから大きく離れた4番手集団にメイショウワカシオは位置した。ゴーカイは、さらに後ろの中団グループからレースを進め、かなり縦長の展開となった。
その後、逃げていたファンドリロバリーが早々と失速。変わってレガシーロックが先頭に立ち、連れてマキシマムプレイズが2番手に浮上する。
ダートコースを横切って4角を回った時には、前はレガシーロックとマキシマムプレイズの一騎打ちムード。メイショウワカシオはそこから10馬身ほど離れた3番手。ゴーカイはようやく4番手まで浮上するも、前とは20馬身近くの差があった。
しかしここから、ゴーカイがJG1馬の意地を見せる。最後の直線で内に進路を取ると、みるみる内に前との差を詰める。残り250m付近でメイショウワカシオを捕えると、残り150m付近で競り合う先頭争いを一気に抜き去った。最後は連れるように伸びたメイショウワカシオに2馬身半差をつけての快勝。そこから5馬身離れた3着に、マキシマムプレイズとの競り合いを制したレガシーロックが入った。
ただ1頭63キロを背負っているとは思えない、まさに他馬が止まっているように見える末脚を披露したゴーカイはその後、史上初となる中山グランドジャンプ連覇を達成。障害界の歴史に名を刻んだ。