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根岸競馬場スタンド写真/明治30-40年頃【馬の博物館所蔵】
根岸競馬場スタンド写真/明治30-40年頃【馬の博物館蔵】

世界有数の規模へと成長した日本競馬。その150年の歩みは、開国や戦争、制度改革といった日本近代史の転換点と重なっている。本特集では、その歴史を五つの視点から読み解いていく。[3/5ページ]

第3章「戦争と馬券」

~国家政策としての競馬~

 競馬がさらに国家と深く結びつくのは、日露戦争前後である。

「当時の日本の軍馬は小柄でした。欧米列強の軍馬と比べると体格も能力も劣っていた。騎兵が重要だった時代ですから、軍馬の改良は急務でした」

 政府は馬匹改良計画を推進し、優秀な種馬の輸入や関連施設の整備を進める。しかし、そこには多額の費用が必要だった。

「財源をどうするか、という問題が出てきます。そこで浮上したのが馬券でした」

 本来、賭博は刑法で禁じられていた。それでも明治39年、政府は馬券発売を事実上“黙認”する。

「馬の改良のための資金を、馬から生み出す。戦争に勝つために馬券を活用した、という側面は否定できません」

 競馬は国家政策の一部となったのである。

 しかし制度は未整備だった。払戻金の混乱や不正問題が起こり、世論の批判も高まる。

「射幸心をあおりすぎるという批判もありました。結局、馬券は再び禁止されます」

 それでも政府からの補助金により競馬は続いた。

「競馬は馬匹改良の成果を測る場でもありました。だから廃止はできなかったんです」

 やがて大正12年、競馬法が制定され、馬券は正式に公認される。ここでようやく、競馬は法制度として安定する。

 競馬は娯楽であると同時に、軍事と経済を支える装置でもあった。

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